91号、12月24日発行

 一切の業繋ものぞこりぬ(91号より)

 思想家の内田樹氏が、その著『呪いの時代』のはじめに、

  「呪い」は今や僕たちの社会で批判的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
  「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、
  「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。
  けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能しているこ
  とにあまりに無自覚のように思われます。

と指摘しています。私たちは色々なものに縛られている、と感じる事があると思いますが、実は自分の考え方、ものの捉え方、そしてその元になる自分の言葉に縛られていることには、あまり気づいていないものです。
 そしてこのような自分自身をも縛っていく「呪い」の言葉に対して、

  呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、
  自分を抱きしめ、自分を愛すること。

と結論づけています。「弱く、愚かで、邪悪な私」が、「許されて、認められて、生かされていたのだ」と知るとき、他の人をも「許し、認め、生かしていくことができるのだ」と思います。親鸞聖人が『ご和讃』に、

  清 浄 光 明ならびなし
  遇斯光のゆゑなれば
  一切の業繋ものぞこりぬ
  畢竟依を帰命せよ

といわれています。仏さまの智慧の光(真実の言葉)に触れるということは、そういうことではなかったかと、あらためて味わわせていただきました。


 轍(わだち)の跡を(90号より)

 秋のお彼岸の時期を迎えました。お彼岸の法要は、浄土があると示された真西の方向に太陽が沈む時節に、亡き人を偲びながら、自分のいのちの行く末を考えてみる、とても大切な宗教行事として、私たち日本人の生活に定着してきました。
 「歌う尼さん」として活動されている、シンガーソングライターの、やなせななさんの歌に「祭りのあと」という歌があります。

 彼女のお母さんは岸和田の生まれで、だんじり祭りの季節になると、いつも帰省して、まつりに連れていってくれたそうです。賑やかだったお祭りが終われば、なんとなく寂しくなりますが、だんじりが曳かれた後に、車輪の跡(轍)が残ります。ななさんは、「お祭りは人生に似ている」と言います。

 大切な人は、仏さまのところへ帰っていかれる。その足跡の上を、私たちは歩かせていただく。お念仏を大切にしたり、人を敬う心を持たせてもらったりと……。祖父母の姿を見て、そんな思いで作られたのが、「祭りのあと」という歌なのです。こんな歌詞です。

 金木犀の花 薫る頃
 瞳閉じれば この胸の中
 蘇る笛の音 踊る太鼓
 あなたが好きだった 祭りばやし

 夕闇の中 揺れるちょうちん
 あなたとふたり 宵宮参り
 幼いわたしの手 引いて歩く
 あなたが口ずさむのは 古い歌

 時は流れて 変わりゆく町
 遠い日は もう戻らないけれど
 人波の中 あなたが生きた轍の後を 辿り歩く

 (中略)

 時は流れて 変わりゆく町
 あなたは二度と 戻らないけれど
 わたしの中に 確かに残る
 轍にも似た証 伝える

 (以下、略)

 この歌を聴いていると、親鸞聖人は、『ご本典』(教行信証)の最後に、道綽禅師の『安楽集』の言葉を引用して、

 前に生れんものは後を導き、後に生
 れんひとは前を訪へ、連続無窮にし
 て、願はくは休止せざらしめんと欲
 す。無辺の生死海を尽さんがための
 ゆゑなり 。

と言われていることと、思いが重なります。私たちは、ちゃんと大切な人の歩いた跡をたどっているだろうか。後に続く人に、確かなものを残しているだろうか。秋の永代経のご縁の中で、問いかけてみたいと思います。


 
 名もなき花(89号より)

 生と死を見つめる癒しの歌が、各地で静かな感動を呼び、お寺でのコンサートを中心に活動を続け、浄土真宗本願寺派の住職を勤めてもおられる、シンガーソングライターの、やなせななさん。彼女のアルバム『願い』の中に、「名もなき花」という歌があります。
 
 やっと咲いたんだ 世界の片隅  あなたが流した 涙の中に
 くれないに色づき始めた花 いちりん 惜しみない 祝福の拍手を送るよ

 この歌を聴いていると、『大無量寿経』の「群萌を拯ひ、恵むに、真実の利をもつてせんと欲してなり」という言葉が浮かんできます。
 
 今日も咲こうとする 宇宙の真ん中  あなたが歩いている 足の下に
 くれないに彩られてゆく花 いちりん 誰ひとり その美しさに
 気づかなくても

 「群萠」とは、誰にもその美しさ(存在価値)を気づかれない、「名もなき花」のような存在のことです。そんな花にも、「そのいのちは、かけがえのないものだよ」と、惜しみない「祝福の拍手」を送ってくださいます。そのわけは、仏さまの温かい眼差しが、すべてのものに注がれているからでした。 

 生まれたときに みんな 授けられている 種
 よろこびも 悲しみも 糧にして 育つよ 愛の実を結ぶため

 それでも、やなせななさんは、いのちの「無常のことわり」を忘れることなく、この歌に綴っています。

 だけどサヨウナラ 愛しいそのすべて どんなに おおきな花を咲かせても
 人知れず 色をなくしてく花いちりん 誰ひとり 引き留めることなんてできない
 燃えている いのち手放す僕もひとり いつの日かこの土に還ってゆくだろう

 無常のことわりは、誰にも避けることはできませんが、見方を変えれば、「いのち」は無常であるがゆえに、今あることが美しいと言えるかもしれません。そんな「いのちの見方」を、仏さまの言葉は教えてくれます。最後に、こんな言葉で、この歌はしめくくられています。

 くれないに 色づき育ってく花 すべてに
 惜しみない 祝福の光を 贈ろう

 「南無阿弥陀仏」の喚び声を、つねに私たちを見守り、支え、導いてくださる仏さまの「祝福の言葉」と味わいたいと思います。


 功徳の宝海みちみちて(88号より)

 去る五月一日、パソコンに向かう手を止めて、何気なくチャンネルを変えながらテレビを見ていた時、ある番組に、リモコンを動かす手が止まりました。それはNHK教育テレビ「二人のチャレンジド 〜浅野史郎と村木厚子〜」という番組でした。

 「チャレンジド」とは、〈障がい者〉を単なる〈弱者〉ではなく、〈神から試練を与えられた者〉ととらえる考え方に立って、使われるようになった言葉です。

 二年前に発症した 成人T細胞白血病と闘病中の、前宮城県知事で、慶応大学教授の浅野史郎さん。そして、郵便不正事件で逮捕、起訴されながら、去年、無罪が確定し、もとの公務員の職場に復帰し、現在、内閣府 政策統括官 を務める村木厚子さん。

 二人は、それぞれ厚生省、労働省に入省し、障がい者問題をライフワークとしてきた旧知の仲でした。くしくも、二年前の六月、浅野さんが入院した直後、村木さんは無実の罪で逮捕されました。障がい者の就労支援に尽力してきた村木さんの誠実な仕事ぶりを知る浅野さんは、当初から無実を信じ、病床から支援のエールを送て続けたといいます。

 対談によると、五ヶ月におよぶ無実の拘置所生活や、死と隣り合わせの闘病生活を、自らに与えられた「チャレンジ」としてとらえ、苦しい時期を乗り越えてこられたそうです。 その村木さんが、拘置所生活の中で、一番の支えになった、アメリカのミステリー作家、サラ・バレツキーさんの、こんな言葉を紹介されていました。

  生きていれば、誰にでも不条理なこと
  は起こるものよ。でも、それを自分の
  人生に加えるかどうかは、あなた次第
  ……。
 
 逆境を嘆き、他人を恨むよりも、自分に与えられた試練、課題だと思って、自分の人生にプラスにしていこうということです。なかなか浅野史郎さんや、村木厚子さんのように強いチャレンジ精神を持つことはむずかしいですが、親鸞聖人は御和讃に、

  本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし

と説かれています。仏さまの願いに生かされる人は、逆境や、怒りの種も、自分にとって「大切な宝」に転じられていく、と教えてくださいました。


 やわらかい心で(87号より)

 昨年、NHKのドキュメンタリー番組「九九歳の詩人 心を救う言葉」が放送され、大反響となったという、柴田トヨさんの詩集『くじけないで』を、ある報道番組の特集で知り、早速、購入して読みました。

 とても九十九歳とは思えない、みずみずしい感性に満ちあふれた言葉の数々。本当に驚くとともに、人はいくつになっても、「やさしい言葉」を紡ぎ出すことで、こんなにも「やわらかい心」を持ち続けることができる、ということを知りました。詩集の中に、「こおろぎ」という詩があります。
   
   深夜 コタツに入って
   詩を書き始めた
    私 ほんとうは
   と 一行書いて
   涙があふれた
   
   何処かで
   こおろぎが鳴いている
   泣く人遊んであげない
   コロコロ鳴いている

   こおろぎコロスケ
   明日もおいでね
   明日は笑顔で
   待っているよ 

 明治四十四年、米商いの裕福な家に生まれながら、お父さんが仕事熱心でなかったために、十代の時には、家が他人の手に渡り、奉公にも出ました。それから、数々の苦難を乗り越えて、力強く生き抜いてこられたトヨさん。九十歳をすぎた頃、趣味の日本舞踊が踊れなくなって、気落ちしていたトヨさんに、息子の健一さんが詩を書くことを勧め、時々訪ねてくる息子さんと、二人三脚の詩作が始まったのでした。

 「私、ほんとうは…」と書いたとき、これまでの様々なことが思い出されて、胸がいっぱいになり、涙があふれました。ふと気がつくと、コオロギの鳴く声が聞こえます。その声に目覚めたように、「明日は笑顔で待っているよ」と話しかけました。

 親鸞聖人は、仏さまの温かい光と、「南無阿弥陀仏(我にまかせよ)」という救いの言葉に触れていく者は、かたくなになりがちな身と心を、柔らかくほぐされていく、と教えてくださいました。仏さまの「願いの言葉」に聞き触れ、仏さまに育まれる人生を、歩みたいものです。


 まるごと受けとめる(86号より)

 人はみな、生まれてきました、この世に。でも、何のために? 私たちは人生の苦難にぶつかり、先が見えなくなるたびに、自分自身にこの問いをぶつけます。お金のため、名誉のため、家族のため、健康のため、などなど……。しかし、これらの「ため」は、それが裏返しになったとき、「こんなはずじゃなかった」と、必ず愚痴に変わってしまうのです。

 先日、ある方から、こんな素晴らしい詩を紹介していただきました。

   ママ   田中大輔

  あのねママ
  ボクどうして生まれてきたのか
  しってる?
  ボクね ママにあいたくて
  うまれてきたんだよ

    『あたなにあいたくて生まれてきた詩』(宗左近 選)・

 作品「ママ」は、三歳の大輔くんが話しかけてきた言葉を、母親が書きとめたものです。

 三歳の子どもの口から、こんな言葉が出てくるなんて、本当に驚きです。しかし、お母さんの、たくさんたくさんの優しさ、温かさを、三歳の素直な心で、しっかりと受けとめている大輔くんの喜びが、「ママに会いたくて」という言葉の中にあふれています。

 親鸞聖人は、一切の条件をつけず、そのまま「まるごと」受けとめてくださる方がおられると、私たちに教えてくださいました。そのお方が、私をよんでくださっている、ということに気づいた時、私の「何のために生きるの?」という問いに、確かな答が見つかるのです。


今生最後と思うべし(85号より)

 前号で、「聴聞の心得」の第二条「我一人の為と思うべし」についてお話ししましたから、今回は、最後の第三条「今生最後と思うべし」について、考えてみたいと思います。

 はじめて「聴聞の心得」を、ご門徒の皆さんと一緒に、「一つ、今日のこのご縁は、今生最後と思うべし」と唱えた時、思わず苦笑いが起こりました。今日のお参りが、今生最後になるとは誰も思わないですから、こんな言葉を聞くと、「ええっーー」と思うのも当然のことかもしれません。
 
 私たちは「いのち」が、変わらずに続いていくものだと考えがちです。しかし、本当は少しずつ変化していくからこそ、成長することも、また老いることもあるのでしょう。細胞レベルでいうならば、つねに古い細胞が死んで、新しい細胞が生まれるという、生と死を繰り返して、「いのち」は相続されているのです。

 ローソクの灯がともり続けるのは、ろうが溶けて燃え続けるからです。しかし、このローソクも、突然の風によって一瞬のうちに消えてしまいます。まさに「風前の灯」です。親鸞聖人の兄弟子にあたる隆寛律師の『一念多念分別事』という書物に、

  人のいのちは日々に今日や限りと思ひ、時時にただ今や終わりと思ふべし。無常の境は生まれてあだなる仮のすみかなれば、風の前の
  灯を見ても、草の上の露によそへても、息のとどまり、いのちの絶えんことは、賢きも愚かなるも一人としてのがるべきかたなし。

といい、それに続いて、

  この故に、ただ今にてもまなこ閉ぢはつるものならば、弥陀の本願に救はれて、極楽浄土へ迎へられたてまつらんと思ひて、南無阿弥
  陀仏ととなふることは、一念無上の功徳をたのみ、一念広大の利益を仰ぐ故なり。

といわれています。そして、その一念、一念が、一時にもなり、二時にもなって、やがて七十、八十の年にもなっていくのです。大切なことは、たとえ今この「いのち」が終わっても、必ず浄土に生まれて、仏になる身であると、心定まっていることなのです。ご法話の中で聞かなければならない最も肝要なことは、ここにあります。

  「いつも何度でも」の作詞をされた、詩人で、作詞家の覚和歌子さんが、ある講演の中で、「私は、たとえ十分後に命を終えることがあったとしても、自分自身が、満ち足りた人生だった、と言える生き方を心がけています」とおっしゃっていました。私たちも、そのような心がけをもって、お聴聞をしていきたいものです。


我一人のためと思うべし(84号より)

前々号で、「聴聞の心得」の第一条、「初事と思うべし」についてお話ししましたから、今回は、第二条の「我一人の為と思うべし」について、考えてみたいと思います。
 「聴聞の心得」の第二条は、「一、今日のこのご縁は、我一人の為と思うべし」で、「今日、このご法座で聞かせていただくご法話は、私一人のためのものであります」と心得よ、ということです。

 私たちは、「今日のご法話は、いいご法話だった」と思うことはあっても、なかなか「私のためのご法話だった」とは思えないものです。つい、「あの人に聞かせるべきご法話だった」とか、「なかなかあの人は、ご法話を聞かないからね」と、他人事にしてしまいがちです。

 もちろん、ご法話を聞いた喜びを、他の人とも分かち合いたいという思いは、報恩感謝のという意味では、大切なことなのですが、肝心の「私の後生の一大事」ということを、つい忘れてしまうのです。お聴聞とか、信心というのは、誰にも代わってもらえない私の人生を、私自身がどう生き抜くか、という問題ですから、それこそ一人一人の「しのぎ」なのです。

 親鸞聖人は『歎異抄』の後序に、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれています。これは、親鸞聖人ただお一人のためのご本願である、ということではありません。仏さまは私たちに対して「十方の衆生よ」と呼びかけられますが、私にとっての「仏さまと私」の関係は、つねに一対一であることを知らせてくださった言葉なのです。

 たとえばそれは、四人の子どもを持つ親が、子どもたちに対して「四人の子どもたちよ」と呼びかけたとしても、子どもたちはみな、「私の親」が呼んでいる、というのによく似ています。つまり、「いつでも」「どこでも」「誰に対しても」等しく「あなたは、私の子どもだよ」と呼びかけてくださる仏さまを、私たちは「いま」「ここにいる」「この私」を呼んでいてくださる、と聞かせていただくのです。

 そんな大切なことを、私自身、忘れていたことに、ある時、気づかせてもらいました。
 あるお家のご法事で、お勤めを始めようと仏さまの方に向かった時のことです。ふと、「今までじっくりと仏さまのお顔を拝むことがなかったなあ」と思い、仏さまのお顔をじっと眺めてみることにしました。しばらくすると、仏さまが、とてもやさしい眼差しで、私を温かく包みこんでくださっている、と思えてきたのです。私はご法事の時、もったいなくも、特等席に座らせてもらっていたのです。

 皆さまも、一度、特等席に座って、仏さまのお顔をじっくりと拝まれては、いかがでしょうか。


畢命を期となして(83号より)

 浄土真宗の七高僧のお一人、中国の善導大師のお書物の中に「畢命を期となして」という言葉が、たびたび出てきます。「畢命」とは、「いのち終わるとき」ということです。つまり、「いのち終わるとき」まで、決して退転することのない決意を、「畢命を期となして」という言葉で表されているのです。

 ところで、私たちが生きていく中で、「いのち終わるときまで::」ということを考えて、行動することはあるでしょうか。むしろ、死んだらしまいなのだから、死ぬ時のことは考えないで、「生きている」ということを前提に、とりあえず生きたいように生き、やりたいようにやろうと、と考えるのが普通なのだろうと思います。

 いつまで生きられるかは誰にもわからないし、死後のこととなると、なおさら誰にもわからないでしょう。だから「死後のことは考えないで、今を大切に生きる」と言うのですが、しかしそれは、本当に大切な問題を先送りし、不安なことは考えないようしようというだけの、「気安め」に過ぎないのではないでしょうか。

 一方、「死んだら、どうなるか」と漠然と問う人がありますが、このような問いに対する明確な答えは、仏教にはない、と言わなければなりません。なぜなら、「今、私はどう生きるのか」ということを抜きにして、「死んだらどうなるか」を考えても、それは無意味なことだ、というのがお釈迦さまの悟られた真理だからです。

 「道に迷っている人」とは、いま自分がどこにいて、どこへ向かおうとしているか知らない人です。そのように、私はどこへ向かって、何のために生きているかわからないということが、「人生に迷う」ということになるでしょう。善導大師は、『観無量寿経疏』というお書物の中で、

  仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。
  かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや。
  ただ  勤心に法を奉けて、畢命を期となして、この穢身を捨ててすなはちかの法性の常楽を証すべし。

とおっしゃっています。お釈迦さまの教えに頷き、阿弥陀さまの願いに喚び覚まされて、清らかな悟りの世界、浄土への往生を願って生きることが、空しく終わることのない、確かな人生だと教えてくださいます。


初事と思うべし(82号より)

 ご法要にお参りを重ねておられる方には、もうなじんでいただいたと思いますが、浄光寺では、ご法要のご法話の際に、まずご講師に余間におすわりいただき、参詣者全員で「聴聞の心得」を声高らかに唱えてから、あらためてご講師を演台までお迎えして、お聴聞をするようにしています。

 その「聴聞の心得」とは、

   一、今日のこの御縁は  初事と思うべし

   一、今日のこの御縁は  我 一人の為と思うべし

   一、今日のこの御縁は  今生 最後と思うべし

という三ケ条からなっています。今回は、まず第一条の「初事と思うべし」ということについて考えてみたいと思います。

 浄土真宗では、ご法話を聞くことを「お聴聞」と呼んでいます。「聴」には「耳を澄ましてきく」とか「きき入れる」という意味があり、単に知識を得るために聞くというのではなく、私の「後生の一大事(いのちの問題)」解決のために、ご法話を「聞き入れていく」ことが大切であると、心得ておきたいと思います。

 さて、「聴聞の心得」のはじめに「今日のこの御縁は、初事と思うべし」とあるのは、ご法話を聞かせていただきながら、ついつい「あの話しはもう聞いた」とか「この話しはあのご講師と同じ話だ」というふうに、「同じ話」と思った瞬間、「いま」聞いている話を、「過去」のことにしてしまいがちだからです。そこには、驚きも感動もありませんから、私の「身」に入ることもありません。

 しかし、「いのち」には、過去も未来もありません。「いま」吸っている空気が、「いま」の「いのち」を支えているように、私の「いのち」を支える言葉は、「いま」の言葉しかないのです。たとえ過去に聞いた言葉でも、「いま」私に響くからこそ、「いま」の私を支えてくれるのです。

 蓮如上人が、「ひとつことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり。」とおっしゃっていることを、肝に銘じたいものです。


信心の溝をさらえて(81号より)

 浄光寺では年明け早々に、浄土真宗の門信徒が最も大切にしている「報恩講」が勤まります。報恩講のご満座(満日中)では、お勤めの後、『御俗姓』が拝読されます。その中に、

 この一七ケ日報恩講中において、他力本願のことわりをねんごろにききひらき、専修一向の念仏の行者にならんにいたりては、まことに今月、聖人の御正日の素意にあひかなふべし。これしかしながら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。

とあります。私たち浄土真宗門徒が報恩講を勤める意義は、阿弥陀仏の本願のおいわれをしっかりと聞き開いていくことにこそあり、それが、親鸞聖人のお心にかなうことであり、御恩報謝の仏事となる、とお示しなのです。

 江州門徒のたしなみは、「一年は報恩講のために。報恩講は一年のために」と肝に銘じて、大切に報恩講を勤めることにあると、先輩から教えられたことがあります。それは、報恩講を大切にお迎えするために一年を過ごし、報恩講で聞き開いた、本願他力救いの喜びをもって、また一年を大切に過ごしていく、ということでありましょう。

 さらに、満日中のご法座が終了した後には、「おさらい」のお勤めをし、『御文章』二帖目第一通を拝読します。これは別名「おさらいの章」と呼ばれています。それは、「さりながら、そのままうちすて候へば、信心もうせ候ふべし。細細に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せといへることありげに候ふ」とある言葉によっています。溝にたまった泥をさらえて、水の流れをよくしていくように、たびたび聴聞を重ねて、世俗の垢を洗い落とし、仏法が心によく響くようにしていきたいものです。


念じてくださる仏さま(80号より)

 親鸞聖人は、二十九歳の時、比叡山を下りて、吉水の法然聖人のもとへ行かれた時の心境を「雑行を捨てて本願に帰す」と言われています。これは言葉を換えていえば、「自力を捨てて他力に帰す」ということでした。 「自力を捨てて他力に帰す」ということは、一見簡単なように見えますが、実はとても難しいことなのです。なぜなら、程度の差こそあれ、一般的には自力と他力の二つの力が合わさってこそ、物事は成就すると考えるからです。

 しかし親鸞聖人が、法然聖人のもとで回心(心を翻すこと)され、自力を捨てて他力に帰していかれたというのは、自分中心の発想を転換し、行動の主体を転換されたということでした。そのことを端的に表わされているご和讃があります。(『浄土和讃』「勢至讃」)

  超日月光この身には
  念仏三昧をしへしむ(教えしむ)
  十方の如来は衆生を
  一子のごとく憐念す
  
  子の母をおもふがごとくにて
  衆生仏を憶すれば
  現前当来とほからず(遠からず)
  如来を拝見うたがはず(疑わず)
 
 このご和讃では、勢至菩薩(法然聖人のこと)が超日月光という仏さまから念仏三昧を教わったといわれていますが、実は、親鸞聖人ご自身が、法然聖人から念仏の意味を教わった、ということを喜ばれているのです。もともと、「念仏」とは「仏を念ずる」、つまり、「いつも仏さまのことを心に思う」ということです。しかしここでは「十方の如来は衆生を、一子のごとく憐念す」といわれていますから、「念仏」とは「念じてくださる仏さま」ということである、ということを教わったとおっしゃっているのです。これが主体の転換ということでした。

 「私が仏さまを念ずる」より先に、「仏さまの方が私を念じてくださって」いたのです。しかも、私が仏さまのことを思うのは、それこそ「たまに(時々)」です。なのに、仏さまは「いつも(不断)」私のことを思っていてくださいます。仏さまが「いつも」私のことを思っていてくださるからこそ、私が「たまに」ほとけさまのことを思うことがあれば、いつも私のことを思っていてくださる仏さまに出遇えるのです。

  「私が頭を下げた」というと、そこにはやがて、「頭を下げたのに」という言葉が付いてきます。「のにが付くと愚痴が出る」と言われた方がありました。同じお礼をしていても、「私の頭が下がった」というと、そこには深い感謝の思いが沸いてきます。これが主体の転換ということなのです。


排除から共生へ 〜新型インフルエンザ流行に学ぶこと〜(79号より)

 今年の五月、国内でも関西を中心に大流行し、多くの学校が休校になるなど、大きな影響を与えた新型インフルエンザ。毒性が弱いことがわかり、一時のような大騒ぎをすることはなくなりましたが、それでも、このような新型インフルエンザ流行の危機が去ったわけではありません。二十世紀の終わりごろから、人間に危険なウィルス感染症の出現が、社会に大きな影響を与えているのです。

 これらは「エマージングウィルス感染症」と呼ばれていますが、エマージングウィルスが起こる背景は、現代社会と密接に関わっている、という免疫学者からの指摘があります。人口増加と、それに伴う自然破壊、そしてグローバリゼーションといういった現代社会が持つ側面が、その発生を引き起こしています。

 ウィルスはエネルギー代謝やタンパク質合成を自分で行うことができないため、増殖するためには、他の生きた細胞に依存しなければなりません。ウィルスが自然界で存続していくためには、増殖の場所を提供してくれている宿主の動物と平和共存していかなければならないのです。

 豚インフルエンザウィルスが発生した背景には、近代的な大規模養豚があり、鳥インフルエンザも大規模養鶏を背景にしていると言います。そして豚から豚へ、鳥から鳥へと感染し、やがて豚からヒトへ、鳥からヒトへと感染して変異を重ねていくうちに、強毒になる場合があると言うのです。

 しかし一方で、ウィルスは遺伝子の運び屋の役割を果たすことから、遺伝子医療に利用されたり、感染した細胞を破壊することから、癌の治療にも期待が高まっています。また、胎児を守っているウィルスもあるそうです。そもそも、ウィルスは三十億年前に地球上に出現したときから生物と共生してきた生命体なのです。

 これまでのウィルス学は、病気からいかに人類を守るかという方向性で進んできました。これを仮に「病原ウィルス学」とするならば、これからは「自然の生態系の中におけるウィルス学」という広い視点が必要であることが指摘されています。人間は動物の一つにすぎません。人間が、自然とかけ離れた、現代社会という特殊な環境をつくりあげ、それによって攻撃的なウィルスの発生を引き起こしてきたことを、まずは認識しなければならないようです。

 人類がこのような特殊な社会をつくりあげた以上、それを認識しながら、ウィルスと人間とが互いに共存していくことを考えなければならない時代に突入したということなのです。お釈迦さまの説かれた「縁起」について、ウィルスをも含めた「あらゆるものとの共生」という広い視野から考え直さなければならないでしょう。


しあわせはどこに?(78号より))

 長年、引きこもりの子どもたちのメンタルケアに取り組まれ、現在「日本家庭教育再生機構」理事長として活躍されている長田百合子さんが、「自己中心的人生からの脱却」と題する手記を書かれていました。仏教で説かれる「縁起」ということにもつながる内容なので、その一部を紹介します。

 人生には、見えざる多くの公式があるようです。〈苦しいことから逃げれば逃げ るほど苦しくなり、怖いものから逃げれ ば逃げるほど怖くなる〉〈自分の幸せしか考えない者には、決して幸せはやって来ない〉という公式は、人間の性から見ればとても皮肉な公式です。(中略)

 自分の力で物事をやっていれば自立しているなどと考える人は、自分の幸せばかりに捕われて本当の幸せをつかむことはできません。人は常に気高く、大きなスケールで人間らしい自立をしなければなりません。

 お釈迦さまは「人は生まれによって尊いのでもなく、生まれによって卑しいのでもない。人は行いによって尊くもなれるし、行いによって卑しくもなる。さあ、私と一緒に尊い生き方をしよう」と人々に諭されました。その尊い生き方とは、縁起の法にかなった生き方でした。

 縁起とは、あらゆるものは様々な「つながり」「関係性」「支え合い」の中で存在しているということです。その縁起を知ることを「智慧」と言います。「智慧」を開けば、自分と他人とを分け隔てする心を離れますから、他の人の喜びを自らの喜びとし、他の人の苦しみを自らの苦しみとするという「慈悲」の心が生まれます。このような「智慧」と「慈悲」を体現されたお方が「仏さま」であり、仏さまに導かれて生きる生き方が、縁起の法にかなった「尊い生き方」ということになるのでしょう。

 逆に、自分の幸せばかりを求めて生きることは、縁起の法とは真反対の生き方ということになります。長田さんが〈自分の幸せしか考えない者には、決して幸せはやって来ない〉というのも当然なのです。

 自己中心的人生から脱却して、「あなたのことが放っておけない」と喚び続けてくださる阿弥陀さまの心に気づかせていただき、「お恥ずかしい」と「もったいない」という心で、報恩感謝の生活をしていくところにこそ、本当の「しあわせ」があるようです。


お慈悲を伝えるために(77号より)

 表紙に、今年の仏教文化講座の講師とお迎えをする土屋昭之先生の書『人間回復〜仏教が教えるいじめゼロの世界』から、
 
 〈だれもが〉ほかの生き物を選ばずに、
  人の身をもって、この世に生まれてきた「尊い人」
 〈だれもが〉同じ宇宙・大地の「無量の寿」を受けて、
  共にこの世に生まれ出た「平等の人」

という言葉を掲げさせていただきました。これは意訳『真宗勤行集』(赤本)の二頁に掲載されている「禮讃文」の、

 人身受け難し、今已に受く、佛法聞き難 し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん。

という言葉に通ずるものです。しかしながら、私たちは人間として生きていく上で最も根本的な、この「大切なこと」を忘れています。そして、お互いに奪いあい、傷つけあい、見せかけの快楽や快適さに翻弄されながら、かけがえのない人生を、気がつけば、愚痴と後悔のままに終わってしまう、という人が少なくありません。

 なぜ人間のいのちが「尊い」か?…。それは、「いのちの真実」を見極める仏さまの言葉(仏法)を聞くことのできる耳を持っているからです。しかし、もって生まれた耳は、育てられなければ、仏法を聞く耳とはなっていかないのです。

 私たちは「聞く」ということを通して、世界を、そして自分を描く(表現する)言葉を獲得していきます。したがって、どんな栄養を摂取するかが、その人の体作りに影響するように、どんな言葉を聞いてきたかが、その人の使う言葉、そしてその言葉の出所となる「こころ」の成長に大きく影響するのです。

 誰に対しても、同じ宇宙・大地の「無量の寿」を受けて、共にこの世に生まれ出た「平等の人」、と言えるのは、すべての人の本当の値打ちを見極める智慧と、それによって相手と共感していく慈悲の心が開かれてこそのことです。

 こうした智慧と慈悲の心を恵み、私たちの自己への執われの心を打ち破り、お互いを尊びながら生きる、という人間としての最高の利益を与える言葉、それが「南無阿弥陀仏」なのです。


一切の功徳にすぐれたる(76号より)

 浄光寺では、毎年の元旦会の際に、「正信偈」のお勤めの後、親鸞聖人がお作りくださった「現世利益和讃」十五首を、お参りの方々と共に、声高らかに唱えます。その中に、

一切の功徳にすぐれたる
 南無阿弥陀仏をとなふれば
 三世の重障みなながら
 かならず転じて軽微なり

という一首があります。南無阿弥陀仏を称れば、過去・現在・未来の三世にわたって、私たちが自らの業として、受けていかなければならない重き障りを、必ず軽く受け止めることができると言うのです。なぜなら、お念仏の中に仏さまの喚び声を聞く人は、誰にも代わってもらうことのできない私の「いのち」を丸ごと受け止め、私が担っていかなければならない重荷を、一緒に背負ってくださる親様(阿弥陀さま)がいてくださることを感じながら生きていくことができるからです。また、

 無無阿弥陀仏をとなふれば
 この世の利益きはもなし
 流転輪廻のつみきえて
 定業中夭のぞこりぬ 

     ※定業(定まった寿命)中夭(早死)

という一首もあります。南無阿弥陀仏を称えれば、この世で得る利益は極まりがないと言うのです。それはとりもなおさず、念仏申す人は迷いの「いのち」を繰り返す縁が断ち切られ、究極の依り所であり、本当の安らぎの世界である「浄土」に生まれ、「悟りの仏」になることが決定するからなのです。
 新年を「元旦会」、そして「報恩講」のお参りから始め、念仏申す身に育てられる喜びを、
聞き開きたいものです。


ニュートラルな心で(75号より)

 最近の車は、ほとんどがオートマチック車で、変速の必要もなくなり、ニュートラルはあるというものの、意識して運転している人は少ないかもしれません。昔ながらのマニュアル車(ミッション車)の場合、ギヤの切り替えには、ニュートラルの位置確認は、とても大切でした。かつて、自動車学校に通った時には、車の始動をする前に、必ずニュートラルの位置確認をすることを教えられたものです。

 マニュアル車では、一度、ニュートラルに戻さないと、ギヤを切り替えることができません。また、ニュートラルの位置に戻すことは、ギヤを何速に入れていたかを確認する意味もあります。ニュートラルはエンジンが空回りしている状態ですが、車を運転するためには、とても大切なものなのです。

 また、パソコンやワープロのキーボードには、左右の人差し指を置いておくホームポジションというのがあって、指で触れただけで、そのキーだとわかるようになっています。それは、画面を見ながら、キーボードを見なくてもキーを打てるようにするためなのです。ホームポジションは、そこに置いた左右の人差し指を起点に、キーを打つ指を自在に動かし、またキーを打った後は、指を元に戻すための、大切なポジションなのです。

 私が趣味としているクラシックギターの場合は、低音弦の4・5・6弦のいずれかに親指を置き、高音弦の1・2・3弦に、それぞれ薬指・中指・人差し指を置いて、弦を弾く時にだけ、その指を動かし、弾いたら、すみやかに元の位置に戻す、というのが基本動作です。それは、力を抜いて指の無駄な動きを省き、なめらかな演奏をするために、とても重要な動作なのです。この基本を身につけるには、適切なアドバイスをしてくれる指導者と、正しい姿勢を保つトレーニングが欠かせません。

 さて、私たちの生きていく上でも、時々、ニュートラルな状態に戻るということが、大切だと思います。「ニュートラル」とは「中立の」という意味の英語ですが、お釈迦さまの示された「中道」という生き方にも通ずるところがあります。私たちは、自分の経験や知識を活かしながら生きていますが、はじめて出合うような困難な問題にぶつかった時、自分の経験、ものの見方、価値観が、かえって邪魔をして、傷口を深く、大きなものにしてしまうこともあります。

 そんな時は、少し冷静になって、自分のすがたを「心の鏡」に映し、ニュートラルな心を取り戻して、そこから再スタートしてみるのが、案外、一番の問題解決の糸口かもしれません。


まなざしを変える喜び(74号より)

今年の仏教文化講座では、矢崎節夫先生をお招きし、「あなたはあなたでいいの〜金子みすゞさんのうれしいまなざし〜」と題して、講演をしていただきます。講演に先立ち、矢崎先生が講演のポイントをいくつか挙げてくださっています。それは、

 ・まなざしを変える喜び
 ・こだまし合うこころ
 ・丸ごと受け入れるやさしさ
 ・違うことのうれしさ
 ・見えないものこそ大切
 ・すべてのものと共に生きること

の六つです。具体的な内容については、当日の講演を楽しみにすることにして、挙げてくださったポイントについて、事前に少し考えてみたいと思います。

 まず「まなざしを変える喜び」ということですが、「まなざしを変える」とはどんなことなのでしょうか。第一面に紹介している矢崎先生の言葉を借りれば、「私とあなた」から「あなたと私」というまなざしに変えるということでしょう。自分を中心に見る世界では、自分に近いものは大きく、遠いものは小さく見えます。そしてそのような見方は、自分に都合のいいものは大切なもの、都合の悪いものは邪魔なもの、無駄なものという価値判断を生み出します。

 しかし、ちょっと視点を変えて、相手の側から見てみると、自分にとって大きく見えるものが小さく、小さく見えるものが大きく見える、ということがわかります。にもかかわらず、私たちはつい、自分の見方だけが正しい、と自分の見方、考え方にとらわれてしまうのです。光と陰は離れることができません。負けのない勝ちはありません。喜びと悲しみ、生と死は二つながら一つなのです。自分中心のまなざしを変えることで、一見、相反することがらが、そのまま一つであり、自分が避けたいこと、無駄だと思っていることの中にも、大切な意味があることが見えてくるのです。

 仏さまの眼は「半眼」と言われますが、それは外のすがたを見るだけでなく、心の内をも見つめておられる、ということを表わしています。このような眼をとおしてこそ、あらゆるものの本当のすがたが見えてくるのだと仏教は説くのです。仏さまの心は、「見えないものこそ大切」であるという、分け隔てのない智慧と、すべてのものを「丸ごと受け入れていく」慈悲の心です。金子みすゞさんの詩には、仏さまの智慧と慈悲に満ちあふれています。

 みすゞさんの詩に、しずかに心を傾け、また、口ずさんでみると、「違うことのうれしさ」と、「すべてのものと共に生きること」による充足感が、心いっぱいに広がってきます。ぜひ、一人でも多くの人に、金子みすゞさんの詩の魅力に出会っていただければと思います。


一切の業繋ものぞこりぬ(73号より)

 ストレス流行と癒し流行が、現代を象徴する風潮であると言われます。こうした風潮に対して、精神分析者の岸田秀氏は、

 ストレスは排除しなければならないもの で、ストレスを排除した状態を良い状態 と考える社会、あるいはストレスを悪と 決めつけている社会、人生は明るく楽し いものであるはずで、辛いことや苦しい ことはあってはならない不当なことと見 なす社会、これは戦後日本の平和ボケ社 会の象徴とも言えるでしょう。

と厳しく指摘されています。私たち人間は、けっして一人で生きることはできないわけですから、当然、生きていれば、自分の思い通りにならず、悩んだり、苦しんだり、葛藤したりということは起こってくるわけです。にもかかわらず、自分の都合の良い善だけを追い求め、現実には妄想でしかない価値観に振り回され、かえって息苦しく、住みにくい世の中にしているというのが、現代のすがたなのでしょう。

 精神科医の片田珠美氏も、現代の流行病とも言われる「うつ」の治療に携わる中で、パキシルなどの「抗うつ薬」に頼りがちな医療現場や、患者に注意を促して、

 重要なのは、落胆や悲嘆を解消してくれ る「魔法の薬」などないということです。 自分の中の悪魔を追い払うことも、押し 殺すこともできません。その影と共に生 きていかなければならないのが人間とい うものなのですから…。治るということ は、楽になるということではないと思い ます。治るとは苦悩を受け入れ、それに 耐え得る自分になることでもあるのです。

と言われています。
 そもそも、仏教は苦悩多き人生を、その苦悩から逃げるのでなく、その苦悩にも大切な意味を見出しながら、限りある人生を心豊かに生き抜いていく道を示されたものでした。妙好人と呼ばれた六連島(山口県下関沖の島)のお軽さんは、幾多の苦難に遭遇しながらも、命がけの聞法、求道によって、その苦境を乗り越え、ようやくたどり着いた心境を、
  重荷背負うて山坂すれど
  ご恩思えば苦にならず
と、晴々と歌い上げています。親鸞聖人が、「一切の業繋ものぞこりぬ」(あらゆる行為や思いの束縛から解放されていく)と言われた究極のより所、まことのお念仏の心を、しっかりと聞き開いていきたいものです。


代わりのきかない「命」(72号より)

 「命」の大きな特徴の一つに「代わりがきかない」ということがあります。どんな便利なものにも、代用品がありますが、命には、その命に代わるものはありません。その命の問題を解決するところにこそ、宗教の存在意義があります。
 
 月刊誌『MOKU(黙)』の三月号の特集記事「カネの幻想」に、その一文として西村恵信師の「貧の眼差し」と題した記事が出ていました。西村恵信師は、二歳の時に出家し、臨済宗妙心寺派の僧籍に入り、後に花園大学の学長まで勤められた方ですが、出身は五個荘なので、ご存じの方もあるかと思います。西村師は、その記事の中で、

 通貨といわれるように、お金ほど他人と共有できるものはありません。百円はあたなにとっても私にとっても百円です。しかし、人間というものは絶対に共有できない。私がお腹が空いてもあなたにご飯を食べてもらえない。病気になって苦しんでいても代わってあげることができない。夫婦であっても親子であっても、二人の間には飛び越せない淵があります。一人ひとりは完全に独立です。(乃至)私が生きている、ご飯を食べている、歯が疼く……。全部個人持ち、そこにだけ宗教固有の領域があるのです。

と指摘されています。このように、代わりきかない命を生きていますから、私の過去の一つ一つの体験の積み重ねが、今の私のすべてであり、私たちは今、そのような私自身の人生の流れの最先端に立っているのです。美しい花を見て感動したり、辛い体験をして涙したり、おもしろい話を聞いて笑ったり…。その一つ一つの体験が、他の誰でもない「私」となっていくのです。

 『大無量寿経』の中に「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」と説かれているのも、こうした「命の現実の厳しさ」を知らせるためなのでしょう。

 「お金がすべて」という価値観が横行していますが、「代わりのきかない私の命」の問題は、お金では解決できないことを肝に銘じて、仏法聴聞に心をかけたいものです。


らしくあれば(71号より)

  「らしくあれば、ええのどす……」五歳で祇園の芸妓置屋の跡取りになり、いつしか全国の花柳界でもその名を知られるようになった岩崎峰子さんは、国内外の政財界の重鎮から多くのことを学び、接客のプロフェッショナルとしての心技を磨き続け、美意識という視座を踏まえて、「男らしさ」「女らしさ」について語っておられます。

 一つには、「男らしさ」とか、「女らしさ」というのは、学校で学習していくものではなく、家庭で身につけるべきものであること。コップ一つの扱い方も、それに水が入っているのか、お湯が入っているのか、どれくらい入っているのか、どういう形の器に入っているのかによって、触れ方、持ち方、置き方、渡し方が違ってくる。そういうことを学ぶ機会が、本来、家庭の中には常にあるし、それを教えるのが家庭にいる親の役目でもあると。

 そして二つには、「男らしさ」「女らしさ」「父親らしさ」「母親らしさ」の「らしさ」というのは、カチンコチンに「ねばならない」ということではなくて、柔軟さをもっているものだということ。そして親も子も心開いて、男も女も心開いて、そのまんま「らしく」あればいい。親は親のまんまを見せないといけない……と。

 「しつけ」という言葉が、「躾」という字で表されるように、「しつけ」の基本は「美しさ」を感じる心なのでしょう。そして、「しつけ」には、身を美しく磨くことと共に、柔軟な心を持つことも大切なのだと思います。

 阿弥陀さまの願いの中に「触光柔軟の願」というのがあります。仏さまのお慈悲に触れ、柔らかい心を持ち、「自分らしさ」とは何かを考えながら、生きていきたいと思います。  


念仏者は無碍の一道なり(70号より)

 先日、池田晶子さんの『十四歳からの哲学〜考えるための教科書』という本を読みました。中学生に向けて、語るような文章で書かれてはいますが、中学生向けとはいっても、けっしてやさしく書かれたものではなく、実に奥深い内容の本でした。

 私たちは、理想と現実について考える時、「理想主義者」「現実主義者」という言葉もあるように、また、「理想としてはそうだけど、現実は厳しいよ」という言い方をするように、理想は理想、現実は現実と、分けて考えます。しかし「現実はこうなんだよ」と言い切ってしまった瞬間、その現実は全く未来を持つことのない、空虚なものになってしまうのです。現実は、豊かな理想を内に抱いてはじめて、輝かしい未来を内に秘めた、豊かな現実になり得ます。

 また、悪ということについて考える時、これは法律上、罪になるから悪であるとか、社会的常識から考えて悪であると言ったりします。そして不正が発覚すると「悪いと知りながら、ついやってしまった」という弁解をします。しかし本当にそうなのでしょうか。よくよく考えると、いわゆる「不正」であっても、自分にとっては「都合のよい」ことだから、それを平気でやることができるのでしょう。結局、私たちの考える「良いこと」とは「私にとって得なこと」であり、「悪いこと」とは「私にとって損なこと」ということであって、「善悪の基準」は、自らの内にある「損得の基準」なのだということがわかります。
 
 さて、表題の「念仏者は無碍の一道なり」とは、有名な『歎異抄』第七条の言葉ですが、第七条には、

 念仏者は、何ものにもさまたげられないただひとすじの道を歩むものです。それはなぜかというと、本願を信じて念仏する人には、あらゆる神々が敬ってひれ伏し、悪魔も、よこしまな教えを信じるものも、その歩みをさまたげることはなく、また、どのような罪悪もその報いをもたらすことはできず、どのような善も本願の念仏には及ばないからです。(浄土真宗聖典 『歎異抄』現代語版)

と述べられています。
 まことの念仏者は、仏さまの悟りの世界、浄土から届いている言葉を拠り所に生きていきますから、人間の本当のあるべき姿(理想)を鏡とし、本当の損得とは何かを知り、本当の喜びとは何かを知っていますから、どのような誘惑にも、けっして惑わされることがないと言われているのです。


あなたと私〜金子みすゞのまなざし〜(69号より)

 大正末期、すぐれた作品を発表し、西条八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで賞賛されながら、二十六歳の若さで世を去った金子みすゞさん。没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人として語り継がれるばかりとなっていました。

 作家で、童謡詩人の矢崎節夫氏は、学生時代に金子みすゞさんの「大漁」という詩に感銘を受け、長年の努力によって、散逸していたみすゞさんの遺稿集を発掘し、現代にあざやかに蘇らせ、日本のみならず、世界の人々に金子みすゞの宇宙《コスモス》を届けてくださっています。
 その矢崎節夫氏は、「金子みすゞのまなざしは、みなさんの中の一番大好きなまなざしなのです。みなさんの中にみすゞさんを見つけることが出来たとき、人はとても幸せな思いになれるのです」とおっしゃっています。
 
   朝焼小焼だ 大漁だ
   大羽鰯の 大漁だ。
   浜はまつりのようだけど
   海のなかでは何万の
   鰯のとむらいするだろう。

 金子みすゞさんのまなざしは、この「大漁」という詩に見られるように、いつも、喜びと悲しみ、光と陰、生と死というふうに、対立しているものに、同じように向けられ、私たちが忘れていることを教えてくれるのです。

 私たちは、「私」と「あなた」というふうに、自分以外の人やものを、いつでも自分中心にとらえます。そして、高いところから他者を見下し、「なぜ、私の言うことがわからないの」と相手を批難し、攻撃します。でも、本当に「わかる」とは、英語でもアンダー・スダントというように、下に立つということ、つまり他者の立場に立ち、「あなた」と「私」というふうに見ていくことなのだと、金子みすゞさんは教えてくれます。

  私が両手をひろげても
  お空はちっとも飛べないが
  飛べる小鳥は私のように
  地面を速くは走れない

  私がからだをゆすっても
  きれいな音は出ないけど
  あの鳴る鈴は私のように
  たくさんな歌は知らないよ

  鈴と、小鳥と、それから私
  みんなちがって、みんないい。

 金子みすゞさんの詩に溢れている優しさは、他者をそのまま受け容れて、しかも、他者に対する敬いの心を忘れない、仏さまのようなまなざしによるものなのです。

 
今を生きる私のためにこそ(68号より)

 先日、ある都市部のお寺のご住職から、こんな話を聞きました。

  ある日、突然、中年のご婦人がお寺を訪ねて来られ、用件を聞いてみると「主人の七回忌法要を勤めてもらえませんか」ということでした。「もし、近くにお手次ぎのお寺がないのなら、こちらでお勤めさせて頂きますので、法名を教えて頂けますか」と返事すると、一瞬とまどうような顔をされました。

 そこで「葬儀の時に付けてもらった名前があるでしょう」と、あらためてご住職が言われると、ご婦人は「主人の遺言にしたがって、お葬式はせず、遺骨は海に散骨しました」と答えられたのです。

 「それなら、七回忌をお勤めされる必要はないのではありませんか」と、ご住職が言われると、申し訳なさそうに、「葬儀を終えて、三年目くらいまでは、主人の遺言にしたがったのだから、これでよかったと思っていましたが、四年経ち、五年経ちしているうちに、遺された私の方が、どうしても落ち着けなくなってきたのです」と涙ながらに、心情を告白されたというのです。

 最近では、葬儀もせず、霊柩車だけ頼んで、火葬場で荼毘に付し、遺骨を拾うだけという人も増えてきている、という新聞の特集記事もありました。しかし、はからずもこの女性が告白されているように、人間にとって死は、遺される者にとっても、大切な意味を持っているのです。
 
 浄土真宗の葬儀は、一般に言われているように「告別式」ではありません。生前に阿弥陀さまのお育てを受けた者が、この世の命を終えると同時に浄土に生まれ、仏になった身として、遺された人たちに、大切なご法縁を結んでいく、宗教的儀式なのです。お棺に七条袈裟を掛けるのは、故人をお導師に見立てているからだと聞いたことがあります。

 たとえこの世の命を終え、今生においてひとたびの別れをしようとも、それは永遠の別れではなく、やがて悟りの世界で、再び相見えることができる。また、浄土に生まれれば、迷いの世界に還り来たって、人々を救うはたらきをさせていただける。

 浄土は、ただ死後にのみ意味のある世界界ではなく、そのはたらきは、今すでに「南無阿弥陀仏」という喚び声となって、今を生きる私たちのために届けられていることを、よくよく聞き開かせていただきたいと思います。

力みのない生き方(67号より)

 「からだの仕組みをよく知れば、誰でも必ず上達できる」という甘い言葉に誘われて、ギタリストの井桁典子さんが紹介されていた『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』という本を購入し、読んでみました。「目から鱗」でした。

 なぜこの本のことを、ここで紹介するかというと、この本に書かれていることは、ピアニストだけではなく、からだを使うこと、つまりは生きていく上での、大切なヒントを与えてくれていると思うからです。

 もともと、この本がまとめられたのは、からだの仕組みを知らない、あるいは間違った知り方をしているために、故障を引き起こしたり、上達をさまたげるようなピアノの練習方法が、割と一般的に行われているからなのだそうです。

 そもそも、私たち人間のからだを構成している骨格や筋肉は、人間に必要な動作を機能的に行うために発達してきました。けれども、骨や筋肉は外からは見えないために、日常生活の中で、あまりその構造や、はたらきを知ることがなく、無駄な力を使ったり、無理な動きをしたり、また、本当はもう少しよく動くのに、動かないと思いこんでしまっている場合が多いのです。

 この本を読んでみて、正しい骨格の構造や、筋肉の役割を少し意識するだけで、ずいぶん今までより体が自然に動くようになることがわかります。一例を挙げると、指は、指にある筋肉で動かしていると思っている人が多いと思いますが、実は、指を動かしているのは、前腕(肘と手首の間)にある筋肉なのです。それを知らずに、指に力を入れて動かそうとしますが、本当は、指の力を抜いて、前腕の筋肉を意識する方が、指はよく動くことがわかります。

 前置きが長くなりました。私たちは、日常生活の中で、力を入れなくてもよいところで力み、かえってぎくしゃくしたり、苦しみや悩みを生み出している、ということがないでしょうか? お釈迦さまは、正しいものの見方で生きようと教えられましたが、残念ながら、なかなかそのようには生きられません。だからこそ阿弥陀さまは、自力のはからいを捨て、我にまかせよと、仰せです。仏さまの言葉によって、自らの分をよくわきまえた生き方をしたいものですね。 


つながるために(66号より)

 今年は、いじめによる自殺問題が大きく取り上げられ、学校教育のあり方も様々なところで議論されました。しかし、学校が「学びの場」であることや、人間にとって「学ぶ」とはどういうことか、という基本的なことについては、残念ながらあまり言及されていません。

 「勉強しなさい」という親に対して、「なぜ勉強しなければならないの」と子どもは反論します。親の答えは決まって「いい学校に進学するため」「いい職場につくため」です。しかし、ここには学ぶこと自体の楽しさはありません。また、これらの目的は他の児童、生徒より良い成績を取らなければ達成されないのですから、当然そこには落ちこぼれが生まれてしまうのです。

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんは、「『自分の木』の下で」の中で、知的障害者である息子さんと音楽のことを紹介された後、次のように述べておられます。

 国語だけじゃなく、理科も算数も、 体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。

 人間が社会的な生き物であり、一人では生きていけないかぎり、他の人たちとつながってゆくすべを持つことは、とても大切なことであり、また、そのつながりを感ずる中にこそ、生きる実感も出てくるのだと思います。大江健三郎さんの言葉が広がっていけば、学校現場のあり方も、世の中の考え方も少しは変わるのではないでしょうか。


真情(まごころ)と誇り(65号より)

 最近の日本の世情を見ていると、人間としての誇りを失ってしまったのではないか、とさえ思われ、暗澹たる気持ちになることがあります。しかし、日本人は本来、誠実さ、謙虚さというものを持っていて、外国の人々からも尊敬を受けていた、という話を聞かせていただきました。

 北朝鮮の拉致問題で大きな役割を果たし、安倍新内閣でもその手腕が期待されている中山恭子さんが、かつてウズベキスタン共和国の特命全権大使であった時、隣国のキルギスで日本人鉱山技師四人と通訳らが、テロ集団によって拉致されるという事件がありました。

 この事件が解決するのに大きな役割を果たしたのは、実はウズベキスタンの人たちだったというのです。ウズベキスタンをはじめとする中央アジアの人々は「日本人は友達であって、日本人が自分たちの国で傷つくことは許さない」と、あらゆる手段を使い、大きな危険が伴っても全力で救出にあたってくれたのです。

 戦後シベリアに抑留されていた日本の人々が中央アジアに強制移送され、重労働に従事させられ、道路や運河、水力発電所や劇場などの建造物を建設しました。その時の日本人の仕事ぶりや生活の有様が、ウズベキスタン各地で語り継がれています。 「日本人は規律正しく、自分の仕事をとても大事にしていた。だれかが病気になればみんなで助け合った。日本人のつくるものはすべていいものだった。とてもいい人たちだった」と、日本人と一緒に仕事をしたというおじいさんが語ってくれた。中山さんは、そうおっしゃっていました。

 もう一つ、感銘を受けた話を紹介します。健康事業総合財団「東京顕微鏡」理事長を務めておられる、下村満子さんの話です。私たちが基本に据える「人生の方程式」と呼ぶのは、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」です。つまり「能力」の優先順位は最後でいいのです。最も大切なのは「考え方」で、それは仲間のために尽くすことや、患者さんやお客様第一主義で、相手の立場に立った仕事への取り組みなど、利己でなく利他です。(中略)能力や学歴が高くても、考え方が利己的だったり、人をバカにしたり、傲慢になって精いっぱい仕事をしない人、そういう人は、うちでの人事評価は当然低くなります…。

 トップに立つ人が、このような考え方を持っている組織こそ、すばらしい仕事ができるのだろうと思ったことであります。どんな小さなことにも真情(まごころ)をもって当たり、人生に誇りをもって生きていきたいものですね。


仏教に求められること(64号より)

 現代の日本では、一般的に仏教、あるいはお寺とは、人が亡くなった時にしか縁のないもの、というふうに考えておられる方が多いのではないでしょうか。残念ながら、浄土真宗のご門徒の方といえども、葬儀や年回法要などを除けば、お寺に足を運ばれる方は、けっして多くはない、というのが現状です。

 しかし、お釈迦さまの開かれた仏教は、けっして亡くなった人のためだけにあるものではありません。そのことは、お釈迦さまの偉大さを語り継がれた伝記からも、はっきりと窺うことができます。

 お釈迦さまは、誕生されるやいなや、東西南北に七歩あるいて、右手の人差し指で天を指し、左手の人差し指で地を指して、「天上天下、唯我独尊。三界皆苦、吾当安之」と宣言されたと伝えられています。この宣言には、さまざまなものや、言葉にとらわれ、怖れ、悩み、苦しみを抱きながら生きていかなければならない私たちの世界に、ただお釈迦さまお一人が、本当の安らぎの道を開いていかれたことが示されています。また、東西南北に七歩あるいたというのは、私たちのとらわれによって作り出されていく、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という、六つの迷いの世界を完全に超えはなれ、大悲に満たされた世界を、お釈迦さまが生きられたことをあらわしているのです。

 龍樹菩薩をはじめとした浄土真宗の七高僧、そしてその教えを受けた親鸞聖人も、お釈迦さまの歩まれた大悲の道を、真剣に求めていかれたのです。ところが、私たち現代人は、多くの祖師方によって培われたきた仏教の説く、大切な意味を忘れてしまっています。夜回り先生と呼ばれている水谷修氏も、その著『あした笑顔になあれ』の中で、

  悩み、苦しみ、煩悩、あるいは人生 の苦、そういったものに、世界の歴史 のなかでいちばんの救いとなってきた のは、本来は仏教をはじめとした宗教 だったと私は思います。とくに日本で は、ほとけの教えだったのではないで しょうか。こころを病む子どもたちが これだけ多いということは、ある意味 では、ほとけの道が廃れたということ です。裏返していえば、ほとけの道が、 大人にも子どもたちにもきちんと語り 継がれていないということではないで しょうか。日本で長い時間を費やして根づいた 仏教というものが、先細りになってい ませんか。子どもたちの明日づくりに 手を差し伸べるということは、その次 の一〇〇〇年をつくるための、大切な 宗教的行事の一つだと思っています。

と書いています。心して、耳を傾けなければならないことだと思います。


「もったいない」ということ(63号より)

 アフリカの女性として初めてノーベル平和賞を受けた、ケニアのワンガリ・マータイさんが、彼女を日本に招待した毎日新聞から取材を受けているとき、日本には「勿体ない」という言葉があることを知って、とても感動し、これを世界共通語にしようと「MOTTAINAI」キャンペーンを始めた、という話を耳にされた方は多いと思います。

 三十年近くにわたって、数千万本の木を植えるという活動をとおして、自然環境を守ることの大切さを世界中に訴え続けている彼女を感動させたのは、「勿体ない」という言葉の持つ意味が、「その物が持っている本来の価値が生かされずに、誠に惜しい」ということだ、と聞いたからでした。

 残念ながら、この言葉を生んだ日本はというと、経済的に豊かになるにつれ、「勿体ない」という言葉を口にすることさえ少なくなってしまいました。 実はこの「勿体ない」という言葉には、物だけではなく、その奥に「心の働き」も潜んでいるのです。シンガー・ソングライターのさだまさしさんの『とこしえ』というアルバムの中におさめられている「MOTTAINAI」という歌の中に

  親が命懸けで生んでくれて
  それなりに必死になって育ててくれて
  なのに自分だけで育った気になるなんて
  MOTTAINAI
  転んだら怪我を心配し
  離れれば健康を心配し
  いつも子供の人生を思ってるのに
  気づかないなんて
  MOTTAINAI

という歌詞があります。幼稚園や保育園に子供を預けても、「お金を出しているのだから、園の人が世話をするのは当たり前」という親がいる時代です。子供が、無償の愛や、恵みに気づかないのも仕方のないことかもしれません。でも、これは大変不幸なことではないでしょうか。

 こんな時代ですから、苦悩多き娑婆世界を生きる私のために、真の安らぎの世界を知らせ、分け隔てない慈悲を与えて、私を救い取ろうとはたらき続けてくださっている阿弥陀さまのお心を受けとることも、また伝えていくことも、至難のことです。
 それでも、阿弥陀さまのお慈悲のありがたさ、尊さに気づいたなら、それを伝えていかないのは、それこそ「もったい」ことだと思うのです。


いのちの不思議に感謝する(62号より)

 わが国を代表する生命科学者である中村桂子氏は、『ゲノムが語る生命』という著書の中で、

  人間は文化をもち、育児にも新しい技術や考え方が使われますが、子どもの中にある三十八億年の生命の歴史は他の生きものと変わりはなく、それを繙くところも同じであり、それを無視し  た文化はあり得ません。

と、たった一つのいのちが、すべてのいのちと繋がって存在しているのだといわれています。ここで「子どもの中にある三十八億年の生命の歴史」といわれているのは、胎児が母胎の中で成長する過程は生命が誕生し、人間にまで進化していく三十八億年の「生命の歴史」の再現であるということなのだそうです。ということは、私たちのいのちは、母親の胎内に宿る以前からの、想像もつかないほどの長い「いのちの旅路」を経て、ようやく一人の人間としての生を受けたことになるのです。

 また、出産時の命の危険性が下がり、つい忘れがちになりますが、産婦の壮絶な陣痛と、仮死状態で産道から生まれ出る嬰児の苦痛は、いのちの営み、いのちの存続が、常に生と死のはざまにあり、その「いのち」がいかに重大でかけがえのないものであるかを物語っています。その意味でいえば、一人の人間が誕生し、生きているということ自体が奇跡というほかはありません。

 このような「いのちの営みの不思議」「生きていることの奇跡」が忘れられているというところにこそ、今日のような、幼い子どもたちの命が簡単に奪われるという悲劇的な事件が多発する原因があるのではないでしょうか。仏教者の松原哲明氏は、

  「なぜ生き物を大切にしなければなら  ないのか」「なぜ私はここにいるのか」  そういったことに答えるためには、生  きていることが何にもまして尊いのだ  という生命存在の基本のところに哲学  的アプローチによって触れていくしか  ないのです。

と言っています。仏さまの教えは、このような「いのちの不思議」「いのちの尊さ」に感謝する生き方を教えてくれるものなのです。


報恩ということ(61号より)

 親鸞聖人のご命日法要のことを「報恩講」と呼びます。ご本山はもとより、浄土真宗の各末寺で、毎年必ず「報恩講」が勤まります。

 さて、「報恩」とは「受けた恩に報いること」であり、その反対語は「忘恩」、つまり恩を忘れるということです。「恩」とは、仏教では「クリタ」(なされたこと)の訳語として用いられる言葉ですから、「報恩」とはまず「なされたことを知る」ということ、と言えます。

 それでは、私たちは親鸞聖人が、私たちのために「なされたこと」を、しっかり受け止めていると言えるでしょうか。蓮如上人時代に生きた、赤尾の道宗という妙好人は、そのご恩を深く身に刻むために、割り木の上に寝たということです。私たちには、そこまではできなくても、せめて親鸞聖人の生涯を通じて、そのご苦労を偲ばせていただきたいものです。
 
 親鸞聖人は、数え年九つの時から、二十九才になるまで、二十年間の長きにわたって、比叡山での厳しい勉学、修行に励まれましたが、仏さまに近づこうとすればするほど、悲しく、浅ましい自分のすがたが見えてくるばかりでした。しかし、そのように自分の本当の姿を、徹底的に見つめていかれたからこそ、「されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と、阿弥陀仏の本願他力の確かさを仰いで生きることに、迷いはなかったのでしょう。
 
 苦悩多き人生を、確かな足取りで歩んでいけるのも、私たちに念仏の道を開いてくださった親鸞聖人のおかげであることを、しっかりと聞き開かせていただきましょう。


人生の遠近法(60号より)

 絵画などで、眼に見えるのと同じような距離感で画面に描く方法を「遠近法」といいます。これは、私たちの眼が「近いものは大きく、遠いものは小さく」とらえるという性質を逆用したものです。つまり、「大小を遠近と受け止める」という私たちの「認識上の錯覚」があるからこそ、「遠近法」という描画法は成立するのです。

 先日の毎日新聞に、専門編集委員の梅津時比古氏が『音のかなたへ』というコラムの中で、「遠近法」と題した興味深い一文を書いていました。
 
 遠近法は、絵と同じように、音楽にもある。
 それは、音源のなかから近景の旋律を浮かび上がらせる方法などいろいろあるけれども、いちばん分かりやすいのは、弱音から始まって次第に強くなり、クライマックスを迎え、再び徐々に弱くなってゆくという構造だろう。音が近づいてきて、まぢかで大きくなり、やがて遠ざかってゆくような、時間に沿った遠近を感じさせる。

 という内容から始まって、いくつかの曲について解説を加えた後、この話は人生観へと展開していくのです。

 本質的な振幅を持つ深い演奏につられて、人生の遠近法について考えた。そこでは、近いことが大きく見えるとは限らない。時間の多寡(多い少ない)で測るのではなく、印象の深浅で構成されるからだろう。だから時の線がすっきりと見通せず、自分をとらえることができない。

 ふと、幸福の度合いで遠近法ができればいいのに、と思った。いちばん苦しかったことが遠くへ消えてゆき、わずかでも幸せだったことがいつも近くに大きく見える。それなら、少しの幸せでも、生きていける。

 音楽についてのコラムでありながら、話が人生論へと展開し、しかも「ものごとの捉え方」が生きる力となり得るのだ、ということをさり気なく語っているところに、注目させられます。
 さて、仏教では私たちの認識そのものが「虚妄分別」なのだと教えます。それは私の都合を中心とした、私の心の遠近法によって描かれた錯覚の世界だからです。それに対して、仏さまのご覧になる世界は、自他の分け隔てを超えたところ見えてくる、ありのままの世界です。いま一度、仏さまの確かな眼を基準に、自分の人生を見直してみたいですね。


大切にすべきこと(59号より)

 作家の藤本義一氏が、ある雑誌の中でこんなことを書いています。

 真の祈りがなくなった時代を痛感する。
これは、少年院や少年鑑別所を取材している時、少年たちと語っていた時に、ふと気づいた。彼らの家には仏壇がないという事実がわかった。両親、祖父母の祈っている姿を見たことがないという。(略)

 私は世界の四十カ国以上を取材し、国々の家庭を訪ねたが、祈りの対象がなかった国はない。貧しいバングラデシュの家にも土器に突き立てられている古い小さな木があったし、貧しいインドの農家の壁には泥絵具で書かれた樹と枝と葉と実があり、少なくとも十三代前の先祖の名前が書かれていた。

 朝、長老の祈りからはじまり、幼い孫たちも最後に小さな手を合わせていた。現在の生キテイルコトへの感謝を捧げている風景は美しいものだった。(以下略)

 最近多発している悲惨な事件の背景について考えると、決して軽視することのできない指摘です。「祈り」という言葉に抵抗があるとすれば、「感謝」という言葉に置き換えてもいいと思いますが、仏壇がない家庭は、その対象がないわけですから、一日が「感謝」、つまり生かされているということの大切さを忘れた状態で始まるという、現代の多くの日本人の生活のあり方は、生きていく上での基本を欠いていると言わねばなりません。

 ところで、「謝」という字を『漢字源』で調べてみると、「射は、はりつめた矢を手から離しているさま。矢をいれば、弓の緊張がとけてゆるむ。謝は〔言+射〕で、ことばにあらわすことによって、負担や緊張をといて気楽になること」とあります。

 「気楽になる」とは、少し自分本位な感じもしますが、〔他からの行為を〕ありがたいと思うこと。また、ありがたく思って礼をのべること、という意味を持つ「感謝」という言葉には、もともと、「負担をかけて申し訳ありません」と、相手に詫びる気持ちが、その根底にあることがわかります。

 思えば、食前に「いただきます」というのも、「他の生きものの命をいただいて、今日の私の命を生かさせてもらいます。申し訳ありません」という意味なのですが、ふだんはそのことをすっかり忘れていますし、「いただきます」という言葉さえ口にしない場面も、最近では多く見かけられるようになりました。

 物の豊かさや、便利さだけに目を奪われがちな現代の私たちですが、本当に大切なことは、「朝夕の礼拝」という日常生活の基本の中にこそある、ということを知らされます。


生きているという実感(58号より)

 世の中では「能力主義」という言葉が力を持ち、「勝ち組」「負け組」という言葉で人を区分けし、世の中不況だという一方で、テレビでは「セレブ」な人たちの優雅な生活が紹介されたりもします。そうした中、普通に生活をしている人たちが、日常的な自分を「つまらないもの」「間違っているもの」としか受け取れず、漠然とした不安を募らせながら生きていかざるを得ない、という世の中になりつつあります。

 こうした状況の中で、私たちが生きている」という実感を感じながら、ごく日常的な生活の中にも感謝の心を持って生きることは、はたしてできるのでしょうか。

 福祉・医療をテーマに取材を続けているフリー・ライターの渡辺一史氏が、ある雑誌の対談の中で、そのことに答えるべきヒントを、次のように語っています。
 
 ボランティアを取材したとき痛感したことなんですが、ボランティアして障害者を助けることで、逆に健常者も生きていけるところがある。結局、「人を支える」ことで、「支えられているんだ」という感性を持つことがとっても大切だという気がします。(中略) わかったのは、結局、「自分探し」というのは、自分一人でやっても何の答えもでないんだということ。自分の「意味」を与えてくれるのは、やっぱり他者でしかないんだと。その単純な原理に気づいたし、思えば社会ってそういうものだな、と。
 
 「おかげさま」という言葉が死語なった時代だとよく言われますが、物は豊かになっても、今は逆に渡辺氏のいう「単純な原理」に、気づきにくい時代なのかもしれません。

 一杯のお茶をいただく時、「お金を出して頼んだのだから、私がお茶を頂くのは当然のことだ」と思うか、「ここにお茶があるのは、お茶を栽培してくださる方、加工してくださる方、それを運んでくれる人、売ってくれる人、お茶を出してくださる方など、さまざまな人のおかげで、このお茶がいただける」と思うかによって、私の心の満たされ方は変わってくるようです。

 「おかげさま」という言葉は、目に見えない多くのはたらきへの感謝の言葉であると共に、私自身が「生きている」あるいは「生かされている」ことを実感するための大切な言葉なのではないかと思います。 

存在意味を支えるもの(57号より)

 横浜甦生病院ホスピス病棟長として、終末期医療にたずさわっておられる小澤竹俊医師は、死を目前にした苦しみの中でも、人間が生きていくための存在意味を見いだす力になるものが、三つあるといわれています。

 一つには、時間の上での存在。私たちは「いま」だけを見ていきているわけではなく、過去の体験に支えられ、将来に向けた「いま」を生きようとすることがあります。人は将来の夢が与えられたとき、嫌な現実、苦しい現実の中でも、がんばって生きようとする力を得ることがあるというのです。
 二つには、関係性の存在。自分の存在は他者から与えられるというもの。人間関係は、その人にとって、プラスにもマイナスにもはたらきます。
 三つ目は自律存在。自分のことを自分で決められる自由が与えられるということ。たとえ体が不自由となった場合でも、自己決定の幅は限定されますが、それでも選択は可能であるというような、自律です。

 第一の、時間の上での存在とは、過去と未来に支えられた今、ということですから、時間的な関係性ともいえます。また、第三の自律存在ということも、主従関係(強弱関係)ではなく、相互相依の関係においてこそ成立し得るものです。ですから、これらの三つは第二の「関係性の存在」ということに集約されるといっていいでしょう。

 実は、すでにお釈迦さまは、約三千年も昔、老・病・死の苦を超える道は、縁起、つまり、あらゆる存在は、互いに支えあっている、ということを知ることである、ということを発見されていたのです。縁起の法は、すべてのいのちと連帯する慈悲の心となり、生きる意味を見失っているものに対しては、「この世の中に、むだなもの、つまらないものなど、一つもない」と知らせる言葉となりました。

 小澤医師の「人は役に立つから存在しているわけではない。役に立たない私でも生きていてよい。そう思える価値基準は、関係性が与えてくれるものです。何もできない自分でも、認めてくれる大切な人との関係性が与えられたならば、ただの私であることだけで尊い存在だと思うことができるのではないでしょうか」という言葉も、そこに帰結するように思われます。

仏さまと私(56号より)

表紙の詩は、中川静村さんが作詞された、仏教讃歌「生きる」の一番の歌詞です。浄土真宗の他力の心を、飾ることなく、素直に、しかもわかりやすく表現した、味わい深い歌詞ですね。

 親鸞聖人が見出された他力とは、自分では何もせず、他人任せに生きるということではなく、私のはからいを超えた、仏さまの恵みの中に生かされている、ということにうなづいて生きることでした。そしてそれは、自分中心であった私の生き方が、仏さまの願いを中心とした、仏さまの願いに喚び覚まされながら生きる生き方に、転換されていくことでもありました。

先日、物理学者の佐治晴夫氏が、教育に関する対談の中で、次のような興味深いことを語っておられました。
…… 今までの教育は「わたしとあなた」だったと思うんですよ。わたしがいてあなたがいて、わたしがいて自然があるという考え方です。すべて自分中心の考え方ですよね。それをひっくりかえして、「あたなとわたし」にする。それは、人間は相手とのかかわりにおいて、その相手、それは自然であり、宇宙であってもいいのですが、その相手を通してしか自分を見ることができないし、自然があって、相手があって自分も存在できるということでしょう。あなたから見た「あなた」としての「わたし」ということです。これはすごく大事な視点です(傍点筆者)……と。

 個性の教育、自由の教育といわれるけれども、結局、自分中心の人間を育ててきただけではないか、という反省に立つ時、佐治さんのご指摘は、傾聴に値するものだと思われます。


苦しみに耐えていく言葉(55号より)

 仏教では、この世のことを「娑婆」といいます。これはインドの言葉「サハー」の音写語で、「忍土」とも翻訳されているように、この世はさまざまな苦しみに耐え忍んでいかなければならない世界である、ということを教えています。

 一方、現代の私たちは二十四時間営業の「コンビニ(コンビニエンス・ストア〔便利なお店〕の略)」に代表されるように、いつでも必要なものが手に入る社会を作り出してきました。これはたいへん便利で、ありがたいことである反面、人間の根本苦である「求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)」に堪える力を弱めているのかもしれません。

  「よく切れる(『鋭い』という意味ではありません)子ども」と、そうでない子どもとの違いは何か。それは苦しみや悲しみ、憂いといったものに堪える力がついているかどうか。言いかえれば、そういう言葉を持っているかどうか、というところにあるのではないでしょうか。

 現在、放送されているNHKの朝ドラ「若葉」の中で、先日、こんな場面がありました。五年前、阪神地方を襲った大震災で父を失った、ヒロインの若葉は、母の実家で、母、弟と共に居候生活をしています。いつか神戸に帰りたい、と思っていた若葉は、神戸の造園会社に一端は内定が決まるのですが、会社の吸収合併で内定が取り消されます。

 今さら神戸の就職先を見つけるのは難しく、叔父が宮崎での就職先を斡旋してくれるのですが、若葉がためらっているので、家族会議が開かれることになりました。その時、若葉は「どうしても神戸でなければだめ。ここではだめなの」と訴えます。それを聞いた母は「これまでここでお世話になってきているのに、恩をあだで返すような言葉を口にするのは許せない」と叱ります。若葉は、「これまでのことには感謝しているけど、『いつか緑に囲まれた家を建てよう」というお父さんとの子どもの頃の約束を果たしたい」と、泣きながら胸の内を語りました。しかし、弟の光だけは絶対に納得しないと、若葉の神戸行きを認めません。若葉は弟の気持ちもわかるだけに、どうしたらいいのか悩みます。

 そんな若葉に、祖母が優しく「のさんねぇ」という言葉をかけました。これは、辛いことがあった時に口にする南九州の方言なのです。祖母の言葉には、若葉の心の痛みに共感し、やわらげようとするする温かさがこもっていました。

 久しぶりに聞いた「のさんねぇ」という故郷の言葉に、私も温もりと生きる勇気をもらいました。



日本の持つ未来性(54号より)

私たち日本人にとってみれば、少しも意識していない、ごく当たり前のことでも、外国の人から見れば、日本という国文化の持つ素晴らしさである、ということを知らされることがあります。
 韓国・済州島の生まれで、二十年前、アメリカ留学の足がかりとして日本にやってきた反日世代の呉善花(オ・ソンファ)氏は、日本に対して「好感」から「嫌悪」、そして「理解」へと進み、日本に根を下ろし、私たち日本人が襟を正して聞かなければならないメッセージを送っています。
彼女は、月刊誌『黙』六月号の日本の基底に脈打つ未来性」という特集記事の中で、次のようなことを語っています。
   
 日本に来て私がついていけなかった最大の問題は言葉の使い方でした。日本人は頻繁に受身形を使います。能動的な言い方に慣れていた私は「先生に叱られた」「女房に死なれた」「彼女に振られた」という言い方にも違和感を覚えましたが、「泥棒に入られた」というのには本当に驚いてしまいました。これは意思伝達の問題を超えて、発想の問題に関わってきます。当初私は、受身的な態度を取る日本人はなんて欺瞞的(人をあざむくこと)なんだと思ったものです。
 しかしこの受身形をよく見ていくと、自分にも落ち度があったと、あるいは相手への配慮が感じられるのです。また、日本人が意識の中で主体に重点を置くのではなく、現実の場面、場所、実態に重点を置いていることの表れだと思えてきました。(中略)
 これは日本が西欧ともアジアとも異なる文化基盤をもっていることを如実に物語るものだと思われます。そこに、アジア的な血縁主義に基づく排他的な利己主義を超えるのはもちろんのこと、西欧的な個人主義の限界も超えた未来的な人間関係への可能性が秘められているとかんじられるのです。(傍点筆者)

 いささか買いかぶりの感がないでもありませんが、彼女はこのように日本が特殊な世界を構築できたのは、豊かな風土と、四方を海に囲まれ、直接、侵略を受けたことがなかったから、と見ています。それは、外面的には大きな理由ではあると思いますが、聖徳太子が仏教を政治に取り入れ、「和を以て貴しとなす」と言われたことや、さらに仏教が日本人の心に根付いて、苦悩多き人生をも「おかげさま」といただいてきたということも、内面的に大きな理由であると思うのです。
 向かうべき方向を見失った感のある現代の私たちは、呉善花氏のメッセージに素直に耳を傾け、日本人が基底として持っている素晴らしさを自覚し、世界に対しても誇れる国を取り戻したいと思います。 


その時生まれたもの(53号より)

 先日、たまたまCDショップで手にしたアルバムの中に、私の心をとらえた歌がありました。『涙そうそう』や『島人ぬ宝』など知られる、ビギン(BIGIN)の『その時生まれたもの』という歌ですが、素敵な歌詞なので、そのまま紹介します。ぜひ一度、口ずさんでみてください。

  大空に輝く星よりも  小さな島の街灯り
  街の灯りが美しい   美しいことを知りました
  十人十色であればこそ  瞬き輝きを増す光
  そこに家族が見えました そこに人々が見えました

  あぁ 自分の為に生きるより  あぁ 貴方の為に暮らしたいと
  その時 灯りが生まれました  その時 灯りが生まれました

  明日くるはずの幸よりも  過ぎて行く昨日の苦しみが
  苦しみの方が愛しい    愛しいことを知りました
  一期一会であればこそ   傷つきいたわりを増す心
  そこに運命が聞こえました そこに命が聞こえました
  
  あぁ 自分の為に歌うより  あぁ 貴方の為に届けたいと
  その時 歌が生まれました その時 歌が生まれました

 「自分さえよければ」という心をちょっと横に置いてみたら、自分のまわりの人の光が、私の光を増してくれるものであることに、誰でも気づくことができます。「あなたのために生きていたい」と思う人に出会った瞬間、私の心の中に本当の「いのちの灯り」がともります。この命が、かけがえのないものであり、この出会いが、ただ一度きりの出会いであると思えば、苦しみさえ、愛しく思えてきます。そして私の心は豊かになります。私の思いを誰かに届けたいと思った時、歌は生まれるのです。

 そういえば、お念仏は、私たち一人一人を愛しく思ってくださる仏さまが、「いつもあなたのそばにいるよ」と告げてくださる、仏さまから届けられた「仏さまの歌」なのだと、親鸞さまも教えてくださっていました。


浄土は命の拠り所(52号より)

春のお彼岸の季節となりました。日本では古来より、春秋のお彼岸に、西方極楽浄土を想い、わが命の行く末の安穏なることを念じて、さまざまな宗教行事が行われてきました。春秋のお彼岸の中日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みますが、太陽の沈む西の方に、阿弥陀仏の極楽浄土があると、仏教経典には説かれているからです。

目に見える者しか信用しない、現代科学の知識的洗礼を受けた者にとって、西方極楽世界など、夢のようなおとぎ話、くらいにしか受け取れないかもしれませんが、経典に「西方に極楽浄土あり」と説かれたのには、深い宗教的な意味がありました。

東という方角が、大東島(おおあがりじま)の地名にように、「上がり」すなわち太陽が昇る方角であるのに対して、西は西表島(いりおもてじま)という地名に見られるように、「入り」すなわち日の沈む方角を指しています。地球上に熱と光を与え、万物を育てる太陽が昇る東という方角は、万物を生み出す象徴であるのに対して、太陽の沈む西という方角は、万物の帰する所の象徴であるといえるでしょう。

今日、親が子を殺し、子が親を殺す。また逆に「相手は誰でもよかった、ただムシャクシャしただけ」という理由で、通りすがりの人を、簡単に傷つけたり、殺害したりするというような、痛ましい事件の報道を耳にするたびに、命の帰するところを見失った人間の、あさましく、また悲しむべき姿に、ただ心を痛めるばかりです。

しかし、すでに阿弥陀さまは、生きるよりどころを失えば、人間はどのようなことをしでかすかわからない、弱くて危ない存在であるかを見抜いて、本当のよりどころがここにあるぞと、声となって私たち一人一人を喚びつづけてくださっていました。  親鸞聖人が、阿弥陀さまの救いを「浄土真宗」と名づけてくださったのも、阿弥陀さまの本願名号は、悟りの世界、西方極楽浄土から、私たちの本当の生きるよりどころとなって、一人一人の上に生きてはたらいてくださるからです。 
  今日もまた 連れてゆくぞの声聞かば
  道知らぬ身も 迷いやはする  春季永代経法要に、ご縁を結んでいただいて、しっかりとお聞かせにあずかりたいものです。


生かされて生きる(51号より)

 月刊誌『黙』の十二月号の巻頭言に、発行人の山口陽一氏が、

われわれは、「生かされて生きる」という「いのち」のつながりの中でしか生きられない。三十八億年前に水の惑星・地球につむぎ出されたという「いのち」は、想像を絶するような悠久の時空を経て、私たち人類を生み出した。一つひとつの「いのち」は有限でも、生命連鎖のメカニズムは三十八億年前から無限に生き続けてきた。そういう意味では、地球の歴史は、そのまま生命の歴史そのものといっていい。(中略)「生かされて生きる」という生命のつながりには、現実に展開される利害得失や栄枯盛衰という人間の営みや生きるかたちからは可視できない(見ることができない)、大きく深い、妥協のない厳然として「それ以上のなにものか」が蔵されているのかもしれない。

と述べ、最後に、

「いのち」のつながり、そして連鎖。その中からつむぎ出される個性豊かな「いのちの実相」。そうした「いのち」の循環の中で生かされて生きる人類。人類の未来は、この「いのち」のつながりと連鎖が生み出す「それ以上のなにものか」に託されているのかもしれない。

と結んでいます。 「生きとし生けるものを救う」という阿弥陀仏のご本願は、「それ以上のなにものか」に、私たちが生かされていることを告げる言葉であるといえるでしょう。


親心こそ人を育てる(50号より)

 「自由」「のびのび」「個性を大切に」…。これらは現代の教育現場において、金科玉条のごとく語られてきたことがらですが、最近になって中央教育審議会から、「やはり学力を重視しなければならない」という議論が出てくるようになっきたのは、これらが実際には中味のない、空論でしかなかったからではないでしょうか。
 「自由」も「のびのび」も、そして「個性を大切に」ということも、秩序と規律、そしてさまざまな困難を乗り越える地道な努力の上にしか成り立たない、ということを教えなければ、かえって子どもにとっては害にしかならないのではないかと思います。
 数多くのひきこもり、不登校の子どもたちの問題を、独自の方法で解決してきた経験を持つ長田百合子さんと、多くの問題を抱えるアメリカの後追いをして、家庭や社会を崩壊させつつある日本に警告を発し、子育てにおける日本の伝統と習慣の大切さを訴え続けている松居和さんが、雑誌の対談の中で、子育てにおける親の姿勢の重要性ということについて、次のように発言しています。
 
松居 子供の問題が起こると、どこに問題があるのか、だれに責任があるのかということばかり考えてしまう。しかし、「だれが責任を感じる社会か」ということが大切ですよ。すると、それは親でなければいけない……。

長田 子供はいずれ親から離れて独り歩きをしなければいけない。その道に茨があったり、ぬかるみがあったりして、転んで怪我したりするかもしれない。だけど、前を向いて子供自身の力で歩いていかせる。これが親のやるべきことですよ。すると、意地悪な人も、叱ってくれる人も、子供を打たれ強い人間に育ててくれるありがたい人になるわけです……。

 結婚は自ら進んで不自由になることですが、子供を産むことは、結婚に輪をかけて不自由になることです。しかし多くの人がそうしているのは、ここに「しあわせ」があるからでしょう。不自由になることに「しあわせ」を感じなかったら、ともに支え合っていくという、人間の生活は成り立っていきません。
 一見、不自由な思いをしているように見えていても、そこに「しあわせ」を感じるという親心があればこそ、自分をしっかりと見つめ、周囲の人に感謝する心を忘れない子供が育っていくのではないでしょうか。


一々の花(49号より)

 親鸞聖人のご和讃の中に、

  一一のはなのなかよりは
  三十六百千億の
  光明てらしてほがらかに
  いたらぬところはさらになし
 
という一首があります。このご和讃は、後に続く二首と一連の和讃なのですが、もともと『大経』上巻の経文をよりどころとしているものです。
 このご和讃にあるように、一つ一つの花の中から三十六百千億の光明が放たれているとは、いったいどういうことなのでしょうか。
 まず三十六百千億とは、青・白・黒・黄・赤・紫の六つを掛け合わせて三十六、それに無量をあらわす百千億という数字を加えたものです。たとえば、青い花は、ただ自らの青い光だけでなく、白や黒や黄色など、そのほか無数の花の光を受けて、それらの光が一体となり、その一体となった光を自分の光として放っている、ということを表しています。
 私たちが普段、何気なく話している言葉や、考えていること、そして行ないは、父や母、兄弟・姉妹、それから友だち、先生、そのほか地域の人たち、あるいは書物を通して出会った人たちど、数え切れない人たちの影響を、知らず知らずに受けてきたものだとはいえないでしょうか。
 しかも、そんな私がほかの誰とも同じでない、私だけの命を生きている。そこに命の不思議さと尊さがある。そのことを私たち一人一人に知らせて、自らの道をしっかりと歩ませることが、仏さまの救いのはたらきなのだよと、『大経』は説いているのです。
 一輪の花にも、その花を咲かせようとする大いなる命の願いがかけられており、一輪の花がせいいっぱい咲くことが、大いなる命の願いに応えていくことになるのです。
 先日、東京生命、アリコ、アクサなどの生命保険会社の取締役社長を歴任し、現在、エキスパート・アライアンスという、会員のロードサービスと共済のための会社を経営している中川博迪という方が、インタビュー記事の中で「世のため、人のため、ちょっとだけ自分のため。この考えが日本を変える!」ということをおっしゃっているのを目にしました。日本の企業にもこんな人がいたのかと、少し安心をしたことがありますが、逆にいうと、このような声をあげないといけないくらい、今日の私たちは自己の利益を優先しすぎている、ということでもあります。
 私の命は他の多くの命に支えられ、また私の命が他の多くの命に関わっていることを、思い返してみたいものです。

かけがえのない存在(48号より)

 元ザ・ドリフターズのメンバーの一人、高木ブーさんが『第五の男』という本を出版したということが、テレビで紹介されていました。映画『第三の男』をもじったタイトルだろうかと思っていたら、ご本人いわく、「私たちはいつも並ぶ順番が決まっていて、リーダーのいかりやさんが必ず一番左で、たいしたギャグも取り柄もない私は一番右。いつしか他のメンバーから『第五の男』と呼ばれていました(笑)」と。
  「取り柄がない」とは本人の謙遜で、実は彼はウクレレの名手で、「高木ブーのウクレレ教室」というビデオ教本まで出たくらいの腕前なのです。でも、ザ・ドリフターズのメンバーの中では、いつも控えめで、うだつが上がらない役回りばかりしていました。そんな彼が『第五の男』という本を出したのは、メンバーの中ではいつも第五番目の男である私がいるからこそ、他のメンバーは安心して自分のギャグを飛ばしたり、派手な役回りをこなしたりできたんだし、自分にもちゃんと存在価値があるということや、自分なりの生き方があるということを知ってもらいたかったから、ということを話しておられました。
 私たちは、ついつい一人一人を切り離して順番をつけ、どっちが上か下かと考えてしまいがちですが、他の順番になってくれる人がいなかったら、自分の順番は存在しないのです。どのポジションにあろうとも、それぞれにかけがえのない存在価値がある、と教えてくれるのが仏教の縁起(すべての存在が深い結びつきを持ち、互いに支え合っている)という考え方です。
 けれども、私たちはそのことをついつい忘れて、人を踏み台にしてのし上がろうとしたり、人の不幸の上に、自分の「しあわせ」をつかもうとして悪戦苦闘し、そのあげくに、生きることに疲れ果ててしまっているというのが、今の時代の多くの人たちの姿ではないでしょうか。
 中島みゆきさんの『地上の星』が連続ランキングの新記録を達成したという報道がされていました。「この世に存在する意味のない人なんてない。だから、自分をダメな人間だと思っている人のために、応援歌を歌い続けていきたい」とつねづね彼女は語っていますが、そういう彼女の思いのこもった歌が、多くの人の心を癒しているのではないかと思います。

常に我が身を照らす(47号より)

昨年、ヒットした歌のひとつに、夏川りみさんの「涙そうそう」がありました。もともとは、BIGIN(ビギン)というグループの歌なのですが、どうしても歌いたいという夏川りみさんの願いに、ともに石垣島出身という同郷のよしみもあり、「歌えばいいさぁ」と応えてくれて、それ以来、大切に歌ってきたことが、ようやく実を結んだのです。BIGINの歌もよいけれど、夏川りみさんの張りのある美しい声で聞く「涙そうそう」は、いっそう心にしみてきます。
 「涙そうそう」とは、とめどなく涙があふれてくるほどの思いをあらわす、沖縄の方言なのですが、詞は歌手の森山良子さんが書かれています。たまたま目にした新聞のコラムで、大切なお兄さんを亡くした頃の思いを、歌にしたものであることを知り、一層この歌への味わいを深くしました。

  古いアルバムめくり 
  ありがとうってつぶやいた
  いつもいつも胸の中
  励ましてくれる人よ

 アルバムの写真に写っている、今は亡きお兄さんに向かって「ありがとう」とつぶやく森山さんの胸の中には、いつも励ましてくれるお兄さんが、ちゃんと生きていてくれるのでしょう。

  あなたの場所から私が見えたら
  きっといつか会えると信じ生きてゆく

という歌詞には、いつも自分のことを見守っていてくれる兄の眼差しと、その眼差しに支えられ、いつか必ず会える日が来ると信じながら生きてゆく、という力強さをうかがうことができます。
 愛しい人と死別することは、とても辛いことではありますが、いつも見守られている自分がここにいる、とに気づかせていただくとき、悲しみの涙が、喜びと感謝の涙に変わることを、この歌は教えてくれます。
『高僧和讃』の「源信讃」に、
  煩悩にまなこさへられて
  摂取の光明みざれども
  大悲ものうきことなくて
  つねにわが身をてらすなり
とあるように、大悲の親様が、いつも私たちのことを照らしてくださっていることを知るとき、私たちは阿弥陀如来さまに出遇うことができるのです。

この街の空にも(46号より)

 「この街の空にも、星は瞬く、今はただ、姿を隠してるだけ…」独特な歌い回しと、印象的な歌詞で始まるこの歌は、現在放送中のNHKの朝の連続ドラマ「まんてん」の主題歌「この街」で、歌っているのは奄美大島出身の元ちとせさんです。
 「この街」のCDが発売された頃、あるラジオの番組の中で、元ちとせさんが、この歌に寄せる思いを語っておられました。
 いったんはあきらめかけたプロ歌手の道を目指して、東京に出てきた頃、まわりには誰も知っている人がなく、寂しい思いをしていました。ある夜、ふと空を眺めたら、ふるさと奄美と違って、空には、数えるほどの星しか見えませんでした。でも彼女は、「夜空に輝く星々は、都会の明るさのために、その姿を隠しているだけ。この街にも奄美で見たような星は輝いているはず」と、ふるさとで眺めた満天の星を思い出し、今の心境と重ねながら、自分を元気づけたというのです。
 この歌は「声が聞きたい、こんな夜だから…」と続きます。私たちも、寂しい思いをしている時こそ、心を静かにして、「いつもあなたのことを見守っているよ」と、私たちを喚(よ)んでくださっている仏さまの声に、耳を傾けてみてはどうでしょうか。「南無阿弥陀仏」とは仏さまの喚び声なのです。

 
よりよく生きる(45号より)
 最近、話題になっている本の中に、聖路加国際病院理事長・同名誉院長で、九十歳を過ぎて現役の医者として活躍中の日野原重明さんのエッセイをまとめられた『生き方上手』という本があります。その本に、こんなことが書かれていましたので、少し抜粋して紹介します。

 吸うよりも吐くことを意識する
 よい呼吸法は、よい生き方と同じ

 お釈迦さまが弟子たちに伝授された「二段呼吸」という呼吸法も、息を吐いて、とめて、さらに吐くものだったといいます。十分にはくことが、健康によい呼吸なのです。からだによい呼吸法は、そのままよい生き方に置き換えられるように思います。自分がもらうことばかりを優先して、他人に対して出し惜しみをしていると、こころは満たされるどころかしなびてきます。(中略)ハァーと大きなため息をついて空気を吐き出すと、からだにいい。同じように、心の健康のためには、自分の能力を他人のために存分に使うことが一番なのです。

 日野原先生は、「呼吸をする」という、人が生きるための最も根本的なことにたとえて、「よりよく生きる」とは「他人のために生きる」ということだと書いておられますが、「すべての人がしあわせにならなければ、私自身も本当にしあわせになることはできない」ということを、最初に説いてくださったのは、ほかならぬお釈迦さまでした。
 お釈迦さまのさとりとは、あらゆるものは、みな支え合って存在している。独立しているものなど、一つもないということでした。このことを仏教用語では「縁起」といいます。ですから、よりよく生きることは、縁起を知ることから始まるのです。その縁起を知らせてくれるのが、「めぐりあい」なのです。
 ところで、「しあわせ」という字を『広辞苑』で引いてみると「仕合せ」とあり、その意味は「めぐりあわせ」と書かれています。これは「仕えるべき人に出合った」という意味を含んでいます。その「めぐりあい」の中で、自分にできる精一杯のことをさせていただけることの喜び、それが「しあわせ」であることを、「仕合わせ」という字は教えてくれます。ちなみに、意外にも「幸(さち)」という字は、後に用いられるようになった字なのですが、かえって「しあわせ」の本当の意味を見失わせているのかもしれません。

無条件幸福(43号より)
 人は誰しも「幸せになりたい」と願うものです。そこで、その「幸せ」とはいったい何かと問われたら、多くの人は、裕福になること、名誉を得ること、健康であること、家庭が円満であること、というようなことを挙げるのではないでしょうか。
 しかし、有名なカール・ブッセの「山のあなた」という詩を挙げるまでもなく、こうしたことは、私たちが漠然と考えている「幸福の条件」であって、必ずしもそれが「幸福そのもの」であるとはいえないのではないでしょうか。
 作家の藤本義一氏がエッセーなどで「無条件幸福」という言葉を使っています。おそらくこの言葉は「無条件降伏」という言葉をもじったものだと思われますが、とても意義深い、いい言葉ではないかと思います。というのは、自分の置かれている状況を、自分の都合にとらわれることなく、一度「そのまま」、つまり「無条件」に受け容れることによって、はじめて「生かされている喜び」が見えてくるのではないかと思うからです。
 「ハンディネットワーク・インターナショナル」という株式会社を設立し、大手企業数社と提携し、介護・福祉ビジネスのリーダー的存在として注目されている春山満という方がおられます。彼がこのような仕事を始めることになったきっかけは、二十四歳のときに、進行性筋ジストロフィーという助かる見込みのない難病にかかってしまったことだったのです。
 彼は病気の宣告を受けたときのことについて、インタビューで「泣いて宿命を恨んで、そして自分への言い訳を山ほどつくって、そして自分を正当化して。僕がそういうことを選んでいたら、人生は終わっていたと思いますね」と答えています。
 そして春山さんはこうも言われます。「けっして自分だけが、こんなふうに強いのではない。宿命を受け入れさえすれば、人は誰でも強くなれるのだ」と。
 逆境の中だからこそ知らされる、私にしか生きることのできない、私だけの人生。私たちも、自分の足下をもう一度見つめ直して、一歩ずつ自分自身の人生を歩みたいものですね。
 
心の大地を耕す(42号より)
 「下農は雑草をつくり、中農は作物を作り、上農は土をつくる」という言葉があります。よい農家の方は、いい土をつくることによって、作物がひとりでにいい作物に育たずにおれなくするということだそうです。
 ところで、もともと漢語の「人間」は「ジンカン」と読み、「人の住む世界」を意味していました。「人間」がいわゆる「人」を意味するようになったのは、人と人とのつながりの中で、はじめて人は「人」となれるからではないでしょうか。
 イヌやネコは、人間が育ててもイヌやネコですが、人間だけは人間に育てられないと、人間になれないのです。姿や形は「人」らしく見えていても、言葉使いや行動を見ていたら、とても「人」とは思えないという人もあるのではないでしょうか。(自分のことも棚上げはできませんが)
 その、言葉使いや行動はどこで身につけていくかといえば、それは、家庭であり、学校であり、また地域社会であるわけです。最近では、テレビの影響も大きいと言わねばなりません。とすれば、家庭や学校や地域社会の中で、どんな会話が交わされ、行動がなされているかが、どんな人が育つかに大きく影響しますし、逆に、どんな人が育っているかを見れば、その社会がどういう状況であるのかが知られます。
 たとえば、毎日の生活の中に、人を敬い、尊ぶ会話やすがたが少なくなれば、人を敬い、尊ぶ心も育ちにくいでしょうし、そればかりでなく、人を尊び、敬う生き方をすることさえ難しくなっていくのではないかと思います。世の中の価値観が大きく変わっていく激動の時代だからこそ、なお一層、私たちは「心が育つ大地」を荒らさないように心がけなければならないと思います。
妙好人「お軽さん」の詩に、
鮎は瀬に住む   小鳥は森に
  わたしゃ六字の  うちにすむ
というのがあります。先輩たちが耕してくれた「南無阿弥陀仏」の六字、「あなたの命をいつも大切に見守っていますよ」という温かい言葉が交わされ、温かい心が育まれていく大地を、私たちも耕し続けたいですね。
いつも何度でも(41号より)
 宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」が空前の大ヒットとなりました。ご覧になった方も多いと思います。そして映画同様にヒットして、たくさんの人に親しまれているのが、この映画の主題歌として用いられている木村弓さんの「いつも何度でも」という歌です。映画をご覧になっていない方も、テレビやラジオで耳にされたことはあるかと思います。
 木村弓さんは宮崎駿アニメの中年ファン(失礼!)で、ぜひ映画作りに参加したいと、熱い思いをもってこの歌を作られたそうです。うかつにも、歌詞の意味をあまり考えず、つい最近まで聴き流してしまっていました。たまたまコーラスで歌う機会があり、歌詞の意味をよく味わってみると、「いのち」に対する深い慈しみを持った歌であることがわかったのです。
 歌詞の後半に、「悲しみの数を言い尽くすより、同じ脣でそっと歌おう」、そして最後は「始まりの朝の静かな窓、ゼロになる身体、満たされてゆけ。海の彼方にはもう探さない。輝くものは、いつもここに、私の中に見つけられたから」と締めくくられています。
 「いつも何度でも」ゼロになる身体に満たされてくるもの、まさにそれが、私の「いのち」を支える阿弥陀さまのお慈悲の言葉「南無阿弥陀仏」であったことを、今しみじみと味わっています。
それぞれの生き方で(40号より)
 最近、注目されている書物の中に、諏訪中央病院の院長をされている、鎌田實さんの書かれた『がんばらない』という本があります。
 莫大な累積赤字を抱えてつぶれかけていた病院に、東京から赴任して来た彼は、「けっして薬漬けにしない医療を」という強い意志を持つ先輩医師と共に、ねばり強いPR活動によって地域の方々の協力を得て、つねに医療の新しいあり方を打ち出し、現在では、地域医療のモデル病院の一つとして、利用者、視察者の絶えない病院に育てあげました。
 彼はこの本の「ありのままに生きるということ」という章の中で、
  …医学は生物学とは違い、人間科学である。人間の疾病を部品の故障というデカルト的なとらえ方をせず、対象の個別性やその人が生きてきた歴史に配慮し、それぞれの「生きている意味」を尊重して、治療していくべきではないだろうか。障害者の「魂を癒す芸術」を見ていると、医学が忘れてきた全体への大切さを思い出させてくれる。…知的ハンディをもった西沢美枝さんたちの「がんばらない」「生きている」「ありがとう」「ぼくのたましい」という作品は、力みのない悠々とした筆づかいとともにすごい迫力をもってぼくらの医療のあり方に問題提起をする。多くの患者さんたちからも「不思議な勇気をあたえられる」と声をかけていただいた。「あなたは、あなたのままでいい」「競争しなくてもいいですよ」と語りかけているようだ。
と書いています。このような考え方を持ち、それを実際の医療に活かしているお医者さんや、病院があることを知って、驚きもし、また嬉しく思いました。
 どんなに若くて健康であっても、やがては老い、病に倒れ、終えていかなければならない命ならば、自分らしく生き、自分らしく死んでいきたいと、誰もが願うことではないでしょうか。
 今、上映中の映画『大河の一滴』の中で、田舎の郵便局長を勤めてきたヒロインの父は、肝臓ガンであることを知りながら入院を拒否し、自分らしい最期を迎えようとします。最初は反対していた家族も、本人の思いを受け容れ、医者の協力を得て、自宅で最期を看取っていくのでした。
 自分らしい生き方ができるかどうかは、老・病・死という人間の根本苦に、自分自身がどう向き合っていくかによるということを、これらの書物や映画は教えてくれているように思いました。
親によばれて(39号より)
 私たちが生きていく上で、「よばれる」ということは、とても大切なことのようです。私たちは「よばれる」ことによって、無意識のうちに、「生きていることの意味」を確認しているのだ、というこを知らされたことがあります。
 いま、NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」が放送されていますので、ご覧になっている方も多いかと思います。その中で、こんな場面がありました。
  ヒロインの恵里は自分らしい生き方を求めて、親の反対を押し切り、沖縄から一人東京に出てきていました。ある日、突然倒れた同じアパートの住人・島田さんを病院に運び、そこで目にした看護婦さんの献身的な仕事ぶりに、「自分のやりたいことはこれだ」と直感します。そして恵里は、「なにか、呼ばれているような気がする」というのでした。
 看護婦目指しての奮闘が始まる中、かつて医者であった島田さんが、恵里の受験勉強を見ているとき、「あなたには看護婦が向いている。きっと看護婦はあなたの天職なんだろう。あなたは、『呼ばれている』と言ったけれど、英語では天職のことを『Calling(コーリング)』というんだよ」と語るのでした。
 「コーリング」に「天職」という意味があることは知りませんでしたから、さっそく英語の辞書を引いてみると、たしかに「@職業、天職、A(神の) お召し、 使命、B呼ぶこと、叫び」とありました。「コール」とは「呼ぶ」という意味ですから、第三の「呼ぶこと」が本来の意味であり、それが第二の「神のお召し」、それから「天職」という意味となって、この「天職」が第一の意味になっていったということなのでしょう。
 どんな職業にも、けっしてたやすいものはありません。仕事の内容だけでなく、仕事上の人間関係の困難さもあります。そんな中で、「どうして、こんな仕事をやっているんだろう」と思ったり、「もう、やめてしまいたい」という気持ちを、誰しも一度は経験するのではないでしょうか。そのような思いが起こるのは、もともと「何のために生きているのか」という問いを持っているからでしょう。
 「天職」を「コーリング」というようになったということが、自らの職業を「神の思し召し」として受け止めることによって、さまざまな困難を乗り越えていった人たちの信仰のすがたを物語っています。
 親鸞聖人は当時、全く存在価値のない「いし、かわら、つぶて」のように思われていた自分たちを、阿弥陀さまは「かけがえのない、尊いもの」と見抜いてくださって、「浄土に招き、喚んでくださっている」とおっしゃいました。『ご本典』に「南無阿弥陀仏」とは「本願招喚の勅命」であるといわれているのは、そのことをあらわしています。
 「招く」とは、私たちの存在価値を認めてくださっているということであり、「喚ぶ」というのは、私たちを抱き取って、「安心せよ」と「よび続け」ておられることを表しています。この喚び声の響く中にこそ、私たちは本当の「生きる意味」と「目標」を知って、力強く生きていくことができるのです。

苦しみを受容する力
〜バッハの信仰と音楽〜(38号より)

「セバスティアン(バッハのこと)、よい知らせがあるぞ……」長年の無理がたたったのか、近年、次第に視力の衰えが進んでいたバッハを心配する友人が、イギリスからテーラー博士という有名な眼科医がやって来るという噂を聞いて、眼の手術を受けることを勧めに来ました。
 決して裕福ではなかったバッハは、手術代のこと、万一、手術が失敗に終わった場合、家族が路頭に迷うであろうことを心配して、友人の勧めを丁寧に断りました。それでも、何とかよい仕事を続けてほしいと願う友人たちの再三の説得に折れて、妻の反対を押し切って、手術を受けることにしました。 
 ところが、この眼科医。実はとんでもない藪医者だったのです。二回の手術によって、バッハを完全に失明させたあげく、薬を服用すれば次第に良くなると偽って、手術代、薬代をまきあげて帰っていくのでした。
 二度の手術によって完全に失明した上に、薬の副作用によって、次第に体をむしばまれ、弱っていくバッハの横で、妻のマグダレーナは手術を後悔しては泣き、夫の苦しみを思っては泣き続けていました。
 しかし、セバスティアンの方は、今やすべてをあきらめて、むしろ死期が迫ったことに安堵する気持ちになっていたのです。
 「悲しんではいけないよ、マグダレーナ。この苦しみも主のみもとに近づくためなのだからな。」セバスティアンはそう言って、反対に妻をなぐさめながら、泣くかわりに聖書を読んでくれるようにたのむのでした。そして、自分に言い聞かせるのでした。
 死に向かうことは、私にとって少しも恐ろしいことではない。むしろ、いつかはこの世を去り、神のみもとにいけるという希望があったからこそ、私は現実の生活の多くの苦しみにも堪えられたのだ…。この世との別離は、長いこと私のあこがれであったし、私の人生の完成の時でもある。目は失っても、私は心の目を開いて、最後の最後の時まで大切に生きよう…。
 図書館でふと手にしたバッハの本を読みながら、確かな信仰によって生きる人間の力強さに、思わず涙があふれるのを禁じ得ませんでした。
 クリスチャンであったバッハの音楽は、そのまま優れたお説教になるほどに、神の栄光を素晴らしく讃えたものでしたが、その音楽の崇高さは、確かな信仰に裏づけられたものであったことを、自らの苦しみ、そして死を受容していく生きざまの中に、はっきりと知らされました。
メメント・モリ
 〜死ぬことを忘れるな〜(37号より)
 今年一月の報恩講のご法話の中で、渡辺正信先生がお話しくださった「メメント・モリ」という言葉が、話される時の身振りともに、強く心に残りました。
 キリスト教の僧院である修道院では、朝一番の挨拶が「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)であるというのです。一日の始まりの挨拶に、「死ぬことを忘れるな」とは、何という不謹慎、あるいは不吉な、と思われるかもしれません。しかし、修道僧たちのこの挨拶は、「いつ死んでもおかしくない命」を、今日もまた生かしていただくのだ、と思いつつ生きていくことが、ただ一度きりの命を生きる私たちにとって、どれほど大切なことであるかを教えてくれているのではないでしょうか。
 もう二十年前になりますが、私が大学の卒業を間近にして、大阪の行信仏教学院に入学することを決めた頃に見た映画『飛鳥へ、まだ見ぬ子へ』の中で、強く印象に残ったシーンが、ありました。
 この映画は、岸和田の徳修会病院に勤務している若いお医者さんが、自身の癌と闘い、そしてついに死を覚悟して幼い子と、奥さんのお腹に宿った、まだ見ぬ子へあてた手紙をもとに出版された、同名の書物が、名高達郎と竹下景子の主演によって映画化されたものでした。
 医者であった主人公は、同僚の作成したカルテを目にし、自分の体の異変が、まぎれもなく癌によるものであることを知ってしまいます。その夜、「なぜ私が…」という無念の思いで、涙がとめどもなくあふれ、眠れない一夜を過ごします。
 それから悶々とした夜が続きましたが、ある朝、毎日通う病院まで風景を、もうこれからは見られなくなるのだという思いで、見つめ直してみました。すると、何気なしに見過ごしていた街路樹が、とつぜん、金色燦然と輝きだしたのです。「通りの木々は、こんなに輝いていたのに、私は少しもそのことに気がつかずにいたとは…」その時、悲しみに打ちひしがれていた主人公は、生きるために、両足切断という試練をも堪えていく決心をするのでした。
 自分の命も、他の命も、やがて必ず終わるべきものであることを本当に覚悟したとき、命に対する限りないいとおしさの思いが生まれ、光り輝く命の世界が見えてくることを、この映画は教えてくれました。
 報恩講のご法話を聞きながら、この映画の一シーンを思い出し、もう一度、仏教を学び始めた頃の初心に返って、「死ぬことを忘れるな」の言葉を味わってみようと思いました。